オリンピックは平和の祭典
舛本 直文
人類の歴史は裏から見たら戦争の歴史なのかもしれません。何百年たっても何千年たっても戦争はなくなりません。ただ人類もそれを良しとしていたわけではなく戦争を拒む人はそれぞれの時代にいたわけです。オリンピックが「平和の祭典」として位置づけられたのも戦争を拒む人たちの強い意志が感じられます。
古代オリンピックの時代から「エケケイリア=聖なる休戦」として象徴的な行事とされ戦争行為が禁止されたそうです。「エケケイリア」とは「手を置く」というギリシア語だそうで、開催期間中は戦争行為のみならず死刑判決までもが凍結されました。
もちろん平和の祭典という理念も、時代時代の政治に翻弄され続けたというのが現実です。1980年のモスクワオリンピックは東西冷戦時代のまっさなかで日本も含めた多くの国が政治的な理由でボイコットしました。日本国内でも盛り上がってきたタイミングでのボイコットは、選手のみならず楽しみにしていた国民も大きなショックを受けました。現実にそういう問題に直面した経験があるからこそ、いくら踏みにじられても諦めることなくオリンピックが平和の祭典であることを忘れてはいけないのだと思います。
本書の冒頭に2018年の平昌大会にて、スピードスケート女子500メートルの決勝後に日本の小平奈緒選手と韓国の李相花選手がお互いをリスペクトするシーンが紹介されています。競い合うライバル同士が互いをリスペクトするということが「平和の象徴」であり「戦争の抑止」になるはずです。フィクションではなく現実にそういうシーンが見ることができるのがオリンピックの底力でありスポーツの意義だと思います。オリンピックが始まるとメダルの数や勝敗が優先的に報道されるのも自然なことかもしれません。しかし観ている私たちを本当の感動に導いてくれるのは、選手たちの国家を超えた勝敗を超えた姿なのだと思います。
(辻田 浩志)
出版元:大修館書店
(掲載日:2024-11-05)
タグ:オリンピック 平和 スポーツ
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