日本バッティングセンター考
カルロス 矢吹
題材にもいろいろな切り口があるもんだと思いました。私のような昭和の人間にとって、バッティングセンターは身近な存在。どことなく牧歌的な雰囲気だろうと読み始めて最初に登場するのは、東日本大震災で被災した方のストーリー。予想に反してヘヴィーな出だしに心が引き締まります。そう、客の立場だった私には昔懐かしいレジャーにしかすぎませんが、事業を立ち上げ営業される方にとっては一世一代のビジネスだということに気づかされました。日本中、北から南まで多くのバッティングセンターを取材されて成り立ちや時代時代の運営を中心に物語は進みます。どちらかといえばバッティングセンターを舞台とした人間のドラマといった方が的確かもしれません。
時代は昭和の中頃、終戦から少し時間がたって落ち着くと、国民はレジャーや娯楽を楽しむ余裕を持つようになりました。そんなとき長嶋茂雄が巨人軍に入団し9連覇を成し遂げ野球が盛んになります。横綱大鵬や力道山などが国民のヒーローとなったのは敗戦が影を落とした国民の心のよりどころだったからかもしれません。彼らの強さに憧れたのも自然な流れだったのでしょう。観戦するだけではなく自分たちもプレイすることで野球熱は次第に高まりました。何といっても打撃は野球の華。本来なら球場に行って選手が集まって用具があって初めてバッティングができますが、バッティングセンターに行けば気軽に楽しめる。楽しめたかどうかは腕次第ではありますが、お小遣い程度のお金で体験できるバッティングセンターが流行らないわけがありません。
日本最初のピッチングマシーンが紹介されていて、カタパルト式のマシーンは中日ドラゴンズが使っていたそうです。話はそれますが「巨人の星」で大リーグボール1号を破るためドラゴンズのアームストロング・オズマがそのマシーンで特訓をしていたのを思い出しました。
バッティングセンターの歴史だけだったらたぶんのめり込まなかったはずです。そこに人間のドラマが綾なす物語として進行します。バッティングセンターで練習した野球少年がプロ入りしたとかいうエピソードは野球少年の心をくすぐります。今風にいえば「聖地」ってところでしょうか。イチローが練習したバッティングセンターなんて、私でも行ってみたいです。
昭和で大ブームになった球技といえばボウリング。70年代初期はディズニーランドの人気アトラクション並みの待ち時間だったといえばご理解いただけるでしょうか。そんなボウリング場もオイルショック後に激減し、バッティングセンターに変わっていったそうです。かつてよく行っていたバッティングセンターもホームセンターになっています。全国で軒数が減ったのは人気スポーツの多様化ゆえ。それでも地元には一軒だけバッティングセンターが残っています。十数年前に息子を連れていって以来ご無沙汰ですが、十年後くらいには孫を連れていくことにしましょう。本書を読んでみて、ふとそう思いました。
(辻田 浩志)
出版元:双葉社
(掲載日:2023-07-26)
タグ:バッティングセンター
カテゴリ その他
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