一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート
上原 善広
「溝口和洋? そういえば、そういう選手いたな。」というのがこの本を手にしたときの率直な感想だった。現役時代の写真を見て思い出した。あの時代にして、やけにマッチョなガタイをしていたのが印象に残っていたからだ。
溝口氏はカール・ルイスが活躍していた時代、日本を代表するやり投げ選手だった。1984年ロスアンゼルスと88年ソウル五輪に連続出場。翌89年の国際陸上競技連盟主催のワールドグランプリに日本人選手として初出場し、やり投げで総合2位になった実績を持つ。彼の持つ87m60cmという日本記録は未だ破られていない。
溝口氏は陸上界で無頼と呼ばれていたらしい。アスリートでありながらヘビースモーカーである。連日、夜の街に繰り出しては酒と女を嗜む。そして大のマスコミ嫌い。現在であれば、アスリートの倫理観からして到底受け入れられるはずはなく、相当なバッシングを受けているに違いない。そういう意味では、時代が彼に対してまだ寛容だったのだろう。
数多くの破天荒な伝説を残してはいるが、一つ評価できるところを挙げるならば、ウェイトトレーニングにいち早く着目していたことである。彼の身長は180cmであるが、それでも外国人選手と比べて小柄だったことやパワーの差を痛感していたようだ。ウェイトトレーニングは現在では当たり前に行われているだけに、彼には先見の明があったといえる。ただ、彼の感性に基づく独自のトレーニング理論には、我々トレーニング指導者からして、首をかしげるところが多々あるのも事実である。なにしろ1回のトレーニング時間が12時間、ベンチプレスだけを8時間ぶっ通してやったこともあるそうだ。ここまでくれば、もはや体力的限界を越えて「根性」らしい。煙草に関しても「煙草は体を酸欠状態にするので、体にはトレーニングしているのと同じ負荷がかかる」と言っている。
その後、ケガが原因で34歳で現役を引退。一時期、なぜかパチプロで生計を立てた後、実家に帰って結婚、農業を継いでいる。彼の人生を振り返ると、キャラクターはもちろん、物事に対する考え方や行動に至るまで規格外であるといえよう。溝口和洋という人間に興味を持つ人物伝として面白い本だった。
(水浜 雅浩)
出版元:KADOKAWA/角川書店
(掲載日:2017-09-22)
タグ:人物伝 陸上競技 やり投げ トレーニング
カテゴリ 人生
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一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート
上原 善広
限界は自分で決める
1970 ~ 80年代に、筋線維組成と競技パフォーマンスとの関係性を論ずる論文が多数発表された。 多くの人が知るとおり、速筋線維の割合が多い人は短距離向き、遅筋線維の多い人は長距離向きとするものである。調べる方法としては初期は筋生検(muscle biopsy)法といって、外科的手法により筋の一部を採取してくるものであった。後年はMRI(核磁気共鳴画像法)により非観血的に推定できるとする画期的な報告が話題を集めた。
さらにまた、この筋線維組成(速・遅筋線維の割合)は遺伝的(先天的)に決まっており後天的に変えることはできないものであるから、あらかじめ組成を調べ、それに見合った種目を選択するのが望ましいというような論調のものまであり、当時、非常に疑問に思ったことを覚えている。人は誰しもそれぞれの好きなスポーツを実践すればよいのであって、“科学者”の高飛車なアドバイスで限界を決められるなどナンセンスではないか。
確かに筋線維組成の平均値(科学的見地)からするとそのような傾向があるとはいえ、選手個々の組成(標準偏差)には大きな散らばりがみられることや、後天的なトレーニングで筋出力は大いに変えられること、加えて競技の成功には筋線維組成の割合のみならず種々の要因が関与していることなどから、時間とともにこのような素質論は聞かれなくなっていった。 やはり限界など他人に決められることなく、未知のことに挑むほうがロマンがあってよいではないかと思うのである。
尋常でない努力
さて今回は『一投に賭ける』。主人公の溝口和洋は、1980年代に活躍した陸上やり投げ選手である。投擲選手なら「誰もが憧れるスター選手」だ。やり投げ選手としては比較的小柄(身長180cm、体重80kg)ながら、常識を覆すトレーニングと独特の投法によって世界の壁に敢然と挑んだ人である。欧米人と比べて如何ともしがたい身長や骨格といった後天的に変えることのできない身体的条件を、ギリシャ彫刻のような身体に鍛え上げることにより、パワーで克服しようとしたのである。
たとえば“天才が死ぬほど努力してやっと行けるのがオリンピックである”というのが私の学生の頃からよく言われたことであるが、溝口の“常識を覆す”トレーニングとはやはり尋常でない。
「人間というのは、肉体の限界を超えたところに、本当の限界がある」と言い、「一二時間ぶっとおしでトレーニングした後、二・三時間休んで、さらに一二時間練習する」(編注:一二時間は12時間)こともあり、ウェイトトレーニングの総重量が「一日一〇〇トンを超えることも少なくない」ことだったという。“死ぬほどの努力”で遺伝的制約を超えることはできないが、限界(と思っている常識)を超えることはどうやらできるらしい。
痛快な語り口
本書 は著者である上原善広の、どこか漱石の“坊ちゃん”を思わせる一人称で綴られており威勢のよい語り口が痛快である。
溝口は「体格・パワーで圧倒的に不利な陸上投擲種目で、欧米人選手に互角の投げ合いをした当時、唯一の人であったが、無頼な伝説にも事欠かない人物」であり、「JAAF(日本陸上競技連盟)に対する批判」も口にしていたという。
18年もの長きにわたる取材の末に本書をものしているが、この取材期間の長さは、溝口の「編み出したやり投げのためのテクニックとトレーニングは、そのまま彼自身の存在意義と哲学にまで昇華されて」いて「そのため、聞き取り自体、大変な時間がかかったが、これを言語化する作業はさらに非常な難問だった」ためだという。
しかし、現役選手ならなかなか口にできないようなエピソードが随所に盛り込まれていることからすると、もしかしたら“時効”を待つためにこの期間を要したのではないかと、深読みしてしまうのである。
(板井 美浩)
出版元:KADOKAWA
(掲載日:2016-10-10)
タグ:人物伝 陸上競技 やり投げ トレーニング
カテゴリ 人生
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