やらなあかんことはやらなあかんのや! 日本人の魂ここにあり
上田 亮三郎
確固たる信念の存在
以前仕事でご一緒させていただいた社会人ラグビーの名物監督。 この人は魅力的だと無条件で思わせる雰囲気をまとっていた。それだけでなく、この古き良き時代の親分の眼差しは、選手をアスリートとしてよりも人間として深くとらえているように感じさせられた。現代スポーツの指導者はさまざまな側面からスマートであることが要求されるが、その根底に必要なものは、人を引きつける魅力であり、もうひとつ人を深く知ることができるということではないだろうか。そしてこのことに今も昔もない。
さて、本書は大学サッカーの指導、大学サッカー界の発展に40年あまり情熱を燃やし続け、今なおその発展のために尽力されている上田亮三郎氏のサッカー人としての一代記である。そこに出てくるエピソードの数々は、トレーナーの視点からは突っ込みたくなるところも確かにある。しかし私の生まれる前から一筋に指導されてきた存在を、今さらどう論評できるだろう。莫大な経験や学習の積み重ね、膨大な数の選手との関係、さまざまな栄光とそして犠牲によって築き上げられたその指導理論は、誰がなんと言おうが完成されているのだ。どれだけ「半殺し」という言葉が出てきても、そこには確固たる信念が存在するのである。
アスリートは赤信号を常に越えようと進んでいく、指導者はそれが渡るべき赤信号かどうかを見極め、そうであれば、渡ろうとする者を激励し、躊躇する者を鼓舞するものだ。トレーナーのような存在も、赤信号を渡るなと簡単に止めるのではなく、どうすればより安全に渡れるかということに挑戦しなければならない。科学的・非科学的、新しい・古いで割り切るだけでなく、最新の情報をアップデートしながら、故きを温ねて新しきを知る感覚も常に心がけるべきで、本書などは本物になるための参考書として興味深い存在になるだろう。
言うべきタイミングで言うべきことを
そんな上田氏の、選手たちを見つめ指導する眼差しはこの上なく厳しく、熱い。そして何よりのポイントは個々別々であることだろう。どれだけ魅力がある指導者であっても、それだけでは人は引きつけきれない。自分はこの人に確かに理解されているという実感を与えられなければ、本当の信頼関係は築けないのだ。人を指導するときに出すアドバイスも、その人が今聞きたい甘言を用いても安心が得られるだけで、根本的な成長につながらない。今その人が聞いておくべきことを聞かなければいけないタイミングで出せるかどうかが大切なのである。そしてそれは本当にその人を理解していなければできないことなのだ。
言われた側もそのときには耳に痛く感じても、振り返ったときに、それが自分に必要なことだったと気づく。そして士は己を知る者の為に死すという覚悟が生まれるのである。
書評しにくい本書を取り上げた理由の大部分は、実は巻末に節子夫人のインタビューが載っていることである。こんなサッカーに取りつかれた人を伴侶にした女性の苦労は想像に難くないが、今となってはおおらかな興味深い話になっている。これをあえて載せたことが、憎いところなのである。
(山根 太治)
出版元:アートヴィレッジ
(掲載日:2012-05-10)
タグ:サッカー
カテゴリ 人生
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