アフガニスタンの診療所から
中村 哲
著者は、アフガニスタンとパキスタンのあいだ、ティルチ・ミールというヒンズー・クッシュ山脈の最高峰に登るため、当地を訪れた。道すがら、病人をみた。しかし、必要な医薬品は手に入らず、著者いわく子どもだましの、診療のまねごとをしながら、病人を見捨てざるをえなかったという。それ以降もたびたび、アフガニスタンを訪れることになる。
1984年5月には「らい根絶計画」のため、ペシャワールに着任、86年、アフガニスタン難民問題にまきこまれ、JAMS(日本アフガン医療サービス)を組織、87年活動を国境山岳地帯の難民キャンプに延長、88年アフガニスタン復興の農村医療計画を立案、89年アフガニスタン北東部へ活動を延長し、今日に至るとある(執筆時)。
著者を駆り立てたのは、ヒンズークッシュ山脈を訪れたときの衝撃、あまりの不平等という不条理にたいする復讐だという。しかし、同時に、ただ縁のよりあわさる摂理、人のさからうことができないものによって当地に結びつけられた、とも。識字率や就学率は、都市化の指標にすぎず、決して進歩や、文化のゆたかさを、さし示すものではない。発展途上国を後進国としてみるなら、先進国を発展過剰国と呼ぶべきだ。私たちは貧しい国に協力に出かけたが、私たちはほんとうに、ゆたかで、進んでいて、幸せなのか。国際協力は、自分の足もとを見ることからはじめるべきだ、と著者はいう。
アフガニスタンと聞いてどんなイメージをもつか、人それぞれだと思う。しかし身近に感じるという人は日本では少ないのでは、と想像する。アフガニスタンという国は多民族国家らしい。複雑な民族構成や、歴史的な経緯については、残念ながら頭に入ってこなかった。人々の持つしきたりや習わしにも馴染みのないものが多い。ただ、その土地で文字通り生き死にした著者の目を借りれば、そこにいるのは泣き笑い、病み苦しむ、自分たちとなんら変わりのない人たちだと知れる。それだからこそ著者は、人々が置かれた環境の不公平さに憤然としたのではなかったか。
(塩﨑 由規)
出版元:筑摩書房
(掲載日:2022-07-26)
タグ:医療
カテゴリ 人生
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