おいしいもののまわり
土井 善晴
土井善晴といえば料理番組をはじめ、TVでも人気の料理研究家だ。その土井先生、本もたくさん出しておられる。日常的な料理のレシピ本もさることながら、こうした料理にまつわるエッセイも多い。その数あるエッセイの中から『おいしいもののまわり』を紹介したい。
私は食い意地が張っているのでおいしいものを食べたい、と常々思っている。美食家ではないが、ご飯は必須だ。楽しみでもある。その食事に関して「食べるのがめんどくさい」「噛むのがだるい」という人に遭遇したときは衝撃だった。お腹が空く、ご飯を食べる、というのは私にとって当たり前過ぎて「面倒」とか「だるい」とかいう概念の付け入る隙が全くない完全にナチュラルな流れだ。それを面倒とは! だるいとは!
話が逸れた。本書ではおひつや布巾、玉じゃくしといった調理器具のことや大根、海苔、胡麻といった食材、混ぜ合わせる、ということや火加減についてなど、文字通り「おいしいもの」の周辺にあるものについて取り上げているのだが、序文にのっけから「『おいしいものが食べたい』と食べる人は求める。」とある。私のことか、と読み始める。すると「世の中はオイシイッブームである」ときて、「いつの間にか家庭では食べる人が主役になってきた。」と続く。どういうことか。「食べる人というのは自分勝手で感情的なものなのだ。」と言われるに至ってはぐぬぬ、となってしまう。そして待てよ、この話、何かに似ていないか、と頭の中で何かが点滅し始める。
それが「ああ、これか」と思ったのは「計量とレシピと感性」だ。最初は食材や調味料を「正確に計る」ということがいかに大切かということが具体的に語られる。同じ道具を使い、同じ測り方をする。わずかな誤差も重なれば大きな差となる。きっちり計ってこそ、味の再現性が出る。ああ、音楽を練習するときの姿勢、方法に似ているなと思った。難しい曲はとくにカチカチとメトロノームをかけ、楽譜にある音価を正確に再現する。これはトレーニングにも言えるのではないだろうか。どのような姿勢でどの方向に力をかけ、何度やるか。「正確」であることは大切で、同じスクワット10回でも正確にやるのとそうでないのとでは、成果も違ってくることだろう。
しかし、これには続きがある。「正確に計量すれば100点満点のおいしい料理が作れるかといえば、そうではない。」のだ。それはそうだ。どんなに正確に指が動いても、ただ音を羅列しているだけでは音楽ではない。スクワットやプッシュアップがどんなに正確にできても、それ自体が競技ではないのと同じではないだろうか。ただレシピ通り流れ作業でやっつけるのではなく、鍋の火加減はどうか、野菜の煮え具合はどうか、そうした絶えず変化していく状況について、「感性」を働かせることの大切さ。この練習を何のためにしているのか、目指す完成像はどこにあるのか。そうしたことに心を配ることに似ている。トレーニングなら今日の体調はどうか、負荷に対する感じ方、天気やスケジュール、そうしたものを鑑みながら自分のコンディションと対話することに似ているのかもしれない。
こんなふうにしてひとつひとつの文章は料理に関すること、料理にまつわること、調理器具や調理方法などのことで、それだけでも食いしん坊の私は読んで面白いのだが、それ以上に根底に流れる土井先生の料理へ向かう姿、向き合い方、姿勢というものが我が事に置き換えられ、普遍の精神を感じるのだ。ああ、そうですよね、土井先生! と思う。
さて序文である。「おいしいものが食べたい」を「上手くなりたい」「人に勝ちたい」に置き換えるとどうか。それは確かに感情的で身勝手だ。欲と言ってもいい。だが食事を作る側として季節や食材、道具などを通して料理と真摯に向き合うということは、「おれスゲー!」ではなく、丁寧に譜を読み、自分の技術をしっかり磨いてその曲を最大限に表現しようとすることに似ている。それはもしかしたら真摯に競技に向かう姿にも通づるものがあるのかもしれない。こうした「置き換え読み」もまた楽しい一冊である。ぜひ手に取ってみていただきたい。
(柴原 容)
出版元:グラフィック社
(掲載日:2024-02-24)
タグ:料理
カテゴリ 食
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