複雑さを生きる
安冨 歩
人間関係、ハラスメント、組織の運営からテロリズム、環境破壊、または職場での苦悩、恋愛、家庭の不和など、現代の諸問題を複雑系科学の立場から読み解いている。副題は「やわらかな制御」。
本書の内容を深めていくためには、まず“知ることとはなにか”を考察し明らかにする必要がある。そのキーワードが1章「知るということ」、2章「関係のダイナミクス」の基礎となる部分。ではその複雑さをどう生きていくのか、それを明らかにしていくのは3章「やわらかな制御」、4章「動的な戦略」になる。正直に言うと、この内容の拡がりは読み解いていくのに大変な作業であった。著者も「めまぐるしい銀河鉄道の夜のような旅」とこの本を振り返る。しかしながら5章の「やわらかな市場」まで読み進めていけば、問題が整理されてくる。
この複雑社会に私たちは生きていて、それを解いていくことが現在必要とされている気がする。それと同じように私たちの身体とは何か、この問いを深めていくことも大きな意味を持つのではないか。
2006年2月22日刊
(三橋 智広)
出版元:岩波書店
(掲載日:2012-10-11)
タグ:複雑系 制御
カテゴリ その他
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ハラスメントは連鎖する
安冨 歩 本條 晴一郎
読んで「ハラスメント」を受けた
「本書によりハラスメントを受けた」。これが、本書の過激とも言える導入部分を読んでいるときの率直な感想だった。本書は日常に巣くうハラスメントという「悪魔」を振り払うために、それを理解するためのものであるはずなのに。たとえば親子関係の中に存在しうるハラスメントの話があげられているが、親子の愛情という大事な部分を汚されたような気分になった。ひとつふたつの事象を取り上げて、愛されない、愛せないとは言えないだろう。同一人物が同一のメッセージを同一の行動や言動によって伝えようとする場合でも、そのコンテキストは日々の身体的、精神的揺らぎの中で常に変化する。また、受け止める側にも同じことが言える。私はそれが人間というものだろうと考えている。私にとって人間は不完全で不安定な存在であり、過ちを犯す存在だ。常に誰かの魂を傷つけ、誰かに魂を傷つけられる危険性を持っている。矛盾に満ち、虚実が入り乱れている。だからこそその中でよく生きることにこだわりたいとも思う。受け止める強さを持ち、立ち向かう強さを持ちたいと思う。己がどうあるべきかを追求すれば、時に自らの魂に疑問を持ち、改めていくことも必要だ。こんなことを考えていると、身の丈で生きることが精一杯になり、それが自然なことだと私自身は感じる。
深くえぐっていく
しかし、世の中ではそんなささやかな決意など簡単に吹き飛ばすような出来事が確かに頻発している。国が関わる大きなことから、日常目にする小さなことまで枚挙にいとまがない。尊い命が失われる事態になることも少なくない。メディアが視聴者や読者を小馬鹿にした情報を垂れ流し、悪質なハラスメントを行っていることもあれば、自ら進んでレッテルを貼られることで安心し、幸せを感じる人も多い。
本書の筆者は、対人関係でみられるその部分をより深く掘り下げていく。過去から現在に至る数多くの事例、文献を読み解き、そして何より己の心の中から目を背けることなく、さながら痛みにのたうちながらえぐっていくかのように。考える力が旺盛だということは大変なことだ。その理論は難解であるが、確かに興味深い。十分読み解いているかは正直言って私自身疑問だが、賛同できる部分も多い。しかし同時に、ネガティブな側面からの論述や、典型的で一方的な断言が多いことが気になるのだ。私自身は筆者にはお会いしたことはないが、「大変な時代で、向き合うべき問題は山積している。でも人間はそんなに捨てたもんじゃないんだよね。たとえばこんないい話もある」というような一言がもらえれば、それだけで救われる人も多いように思う。お気楽すぎますか。
スポーツで考えると
さて、スポーツというフィールドにおいて考えてみると、本書の内容の典型例として、指導者と選手との関係があげられる。確かに極端な例であれば、自分のことを有能だと思っているが実は無能な指導者のために選手が犠牲になるケースもある。また、自らの理論を他の理論を否定したうえで選手に押しつけることも問題視していい。私はアスレティックトレーナーとして、そのような例を聞くたびに、自分に何ができるかということを非力ながら自問する。また、高野連の特待生問題に対する取り組みなども、教育という名を借りた若者の可能性の芽を摘む組織によるハラスメントだと感じずにおれない。もちろんその制度を私益のために悪用する存在や、その制度により一般の学習を軽視するようなことが起こっていたのであれば、もちろんそこには別の問題がある。
しかしその一方で、試行錯誤を繰り返し、間違いを犯しながらも、懸命に選手のために尽力しようと努力を惜しまない指導者も数多く存在する。指導者の存在を実態以上にとらえず、うまくつきあい、自分たちのために必要な取り組みができるたくましい選手たちも数多く存在する。局面だけ見ればハラスメントに見えることでも、大局的に見れば選手が指導者を乗り越えていく結果を生み出すこともあり、また1つの目標に向かう大きな原動力になることもある。
確かに問題視すべきことも多いが、そこだけを取りざたすほど過敏にはなりきれない。
のび太にとっての「天使」
余談になるが、本書を読んでいて、その内容は「ドラえもん」という教材の中にも発見できるように感じた。ジャイアンというハラッサー(ハラスメントを仕掛ける人)、のび太というハラッシー(ハラスメントを受ける人)、スネ夫というハラッシーハラッサー(ハラスメントを受けた結果、自らをハラッサーと化す人)。ただ、ドラえもんはのび太のそばにいることでは、ハラッシーを救う「天使」にはなれなかった。最終回(数ある中の1つ)に彼は未来に帰ることでその存在を消し、のび太はそこでようやく自分自身で自分を脅かす存在に立ち向かうことになる。彼はその存在を消すことでのび太にとっての「天使」になれたのだ。この自立をいかに体得するかが、問題解決の1つになる。言うは易し行うは難し、だが。
(山根 太治)
出版元:光文社
(掲載日:2007-07-10)
タグ:ハラスメント
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