言語と呪術
井筒 俊彦 安藤 礼二 小野 純一
言語とは情報伝達のツールである。今の時代に「呪術」なんて漫画や小説などのフィクションの中にしか存在しない。そういう考え方をされる方も少なくないかもしれません。実際私自身も本書を手に取ったとき「怪しげな本」という第一印象を持ちました。これを偏見といいます。読んでみると大真面目に言語の呪術性を説かれています。帯には「言語は論理(ロジック)であるとともに呪術(マジック)である」と書かれていますが論理面ばかりが目につく昨今、言語のルーツをたどっていけば呪術としての側面があり、我々が気づかないだけで、というよりもむしろ当たり前になりすぎて呪術としての側面が見えなくなっているだけであると筆者は述べます。ここで正しい理解の障壁となるのはご大層な儀式が呪術であるという認識だと思います。さらに科学の発展により昔の呪術的な儀式は否定されていることも筆者の意見に耳を傾けることの邪魔になっているかもしれません。
もともと言語は自分の願いを表象することが最初の目的なのでしょう。赤ん坊が「まんま」と言ったりするのも食べて命を長らえたいという願いであり、自らの希望を伝える手段を呪術と捉えるのであれば理解も容易になることでしょう。今の時代においても文化の中に取り込まれた呪術は存在します。大安や仏滅などの六曜もいまだに書かれたカレンダーがありますし、ごはんを食べるときに「いただきます」というのも立派な呪術であるという目線があれば本書をしっかりと読めるはずです。そして筆者の目的は宗教的なものを肯定するのではなく言語を哲学するところにあるのだと確信します。
本書の肝は言語として発したワードには、発信者の心にある「何か」を聞き手の心の中に呼び起こすと言われ、その「何か」を「内包」と称し研究の対象としているところにあります。言葉の中には発信者のイメージや経験あるいは思想などが含まれたものとしている点に、心であったり魂という部分までもが言葉だと考えることで呪術性の正当性を裏付けています。本来人の心の中にあるものなんて容易にわかるものではないはずなんですが、4つの要素に整理して考察を進めます。「指示的」「直観的」「情緒的」「構造的」と発信者の心の裡にある要素を分類しています。4つの要素に対する説明も様々なジャンルの文献を引用しながら進められていますので、筆者個人の意見という感じではなく客観性を感じました。
本書は「英文著作翻訳」となっておりますが、翻訳者の言葉の選択もすごく繊細な印象を持ちました。
(辻田 浩志)
出版元:慶應義塾大学出版会
(掲載日:2024-02-06)
タグ:言語
カテゴリ その他
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