希望のトレーニング
小山 裕史
そもそもトレーニングとは
トレーニングとはそもそも何だろう。鍛錬という言葉をあてるなら、それは「体力、精神力、能力などを鍛えて強くなること」ということになる。野生動物はトレーニングなどしないのに優れた能力を持つとよく引き合いに出されるが、彼らは常に生き死にを賭けた大勝負の中で生きている。全力で獲物を仕留めた後や、やっとのことで逃げ切った後は疲労困憊でひどい筋肉痛にしばらく悩まされているのかもしれない。
それに彼らだって誰もが皆初めから狩猟や逃走がうまいということではないだろう。それでも栄養源を確保しなければ、あるいは逃げ切る力がなければ生き残る確率は急降下する。だからと言って無茶をして肉離れや腱の断裂でも起こそうものならそのまま死に直結するのだから、本番の中で最も効率的な動きを自然と探ることになる。本能の上に経験を積むうちに、無駄なく、より楽に、より安全に生き残る術を獲得するようになるのだろう。
つまり、自らが存在するその環境に適応し、種を残すために生き残ることそのものが「体力、精神力、能力などを鍛えて強くなること」を余儀なくしているのだ。紛争もなく豊かな国に暮らすヒトは、野生動物に比べればはるかに安全な上、便利な道具たちに囲まれて大して身体を使う必要もない。そんな環境に適応(?)したヒトたちはブクブクと肥えていく。病気などではなく不摂生で重たくなった我が身を嘆いて痩せたいなどという悩みなど、どれほど贅沢なことか。そんな風に考えると、アスリートであれ一般の愛好家であれ、現代人がトレーニングを積む目的には、人間の限界を高めるということと裏表でヒトの本来あるべき姿への原点回帰という側面があるように感じる。
環境への適応
ともあれ、世にトレーニング理論というものは無数に存在する。ある理論を唱える人がそれ以外の他者を否定するというのはよくある光景だが、未だに唯一無二のゴールデンスタンダードが確立されないのはなぜだろう。どれも決定的でないから、というより、それだけ多様なニーズがあるからだろう。
環境に適応するということは、与えられたストレスによりよく対応できるようになるということだ。つまりストレスの種類によって進むべき方向が変わるのだ。それが人間本来の姿への歩みであれ、今までにない新たな姿への歩みであれ、自分がありたい姿になるための方法である以上、ヒトの数だけあってもおかしくはない。 本書は、鳥取から世界に独自のトレーニング理論を発信する小山裕史氏の「初動負荷トレーニング」という方法に出会い、その恩恵を受け、魅せられ、今も取り組み続ける人たちのインタビュー集である。ニューヨークヤンキースのイチロー選手を初めとする錚々たるトップアスリートの面々に加え、リハビリテーションとして取り組む方や、アンチエイジングの方法として取り組む高齢者の方々など、一般の人たちも紹介されている。
理想を求めて
身体が発揮する力を変える要素としては、筋横断面積、筋の種類や構造、筋線維動員数や発火頻度、また伸張反射やそれに伴う相反性抑制など神経と筋のコンディション、大脳興奮水準、関節を支点とした負荷のかかる作用点と筋の停止である力点との位置関係、主働筋と共働筋や拮抗筋の協調性、身体部位同士の協調性、栄養状態、呼吸状態など、枚挙にいとまがない。しかしそれら全ての条件を整えたとしても、各部位が統合された身体全体の使い方を抜きには結局は語れない。筋肉は収縮することがその生理的機能だが、収縮することで関節を動作させることもできれば固定することもできる。50歳手前になって今一度その身体の使い方を磨きたいと空手を始め、ようやく2年半ほどになる私も、自分の身体と奮闘する日々の中、なりたい自分へのトレーニングを続けている。あくまで自分の感覚的な話になるが、正拳突きひとつとっても、末端である手から動作を開始すると、より近位である肩周りの筋はそれを支持しようとし、関節を固定する力が優位になるように感じる。代わりに下半身から腰、そして肩甲骨へと力を伝えることで結果的に拳が前に進むという感覚で動かせば、肩周りの筋肉は動作力が優位になるように感じる。動きの結果だけ見れば同じような形になるが、そのプロセスは拳が走るという感覚で大きく異なる。
もちろんより大きな筋や関節で発揮した力をより小さな末端に伝えることでその速度が上がるのだが、介在する動くべき関節で筋の固定力が強く、固定すべき関節で動作力が強いとロスが大きくなり、その逆であれば効率的に全身が動作できるという感覚である。
下半身で言えば、足から歩くのではなく股関節の動作の結果、足が前に進んでいく感覚だ。当たり前と思われるかもしれないが、私にとっては意外に難しい。自分の不器用さを棚に上げるならラグビーという強い外力がかかる競技でのトレーニングを長く行ってきたことも原因のひとつのように思える。外向きに発揮するための内力を効率的に高めるということであれば、先に挙げた中心から末端への感覚は非常に大切だと実感する。しかしラグビーのスクラムやタックルのように大きな外力を流すことなく受け止める場合には、関節の固定力を上げなければ対応できない。
どちらがいいとか悪いとかではなく、必要なときに必要な使い方が自由自在にできることが理想だと思う。空手の形でも、動作力を高める使い方が多いが、しっかりと、しかも瞬間的に固定することも求められる。肩甲骨や骨盤の使い方を中心にした動きを掘り下げるほど、身体の使い方を習得するための形の価値が深まる。これは楽しい。
ありたい自分に近づくためにトレーニングがあるなら、ありたい自分になり得る環境づくりや負荷の加え方が必要であり、それは基本的に自分で探り当て、またつくり上げていくものなのだろう。そしてイチロー選手が本書の中で自身が取り組む「初動負荷トレーニング」を指して言うように、「本来人間が持っている能力をさらに大きくできる」ものであるべきなのだ。己がどうあるかという生き方そのものに通じることでもあるのだから。
(山根 太治)
出版元:講談社
(掲載日:2014-11-10)
タグ:トレーニング
カテゴリ その他
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