シマノ 世界を制した自転車パーツ 堺の町工場が「世界標準」となるまで
山口 和幸
堺の町工場から世界標準へ
本書は、自転車部品メーカー「シマノ」が世界一の自転車「パーツ屋」になるまでのノンフィクションドラマである。
株式会社シマノは現在大阪府堺市に拠点を置く。創業は1921年。鉄工所の職人であった島野庄三郎が島野鉄工所として興した会社である。
当初島野鉄工所ではフリーホイールというギヤパーツを製造していた。しかし、その初代社長庄三郎が逝去した頃には第一次サイクリングブームも終り、会社は経営の建て直しを迫られる。
そんな会社を引き受けたのが庄三郎の長男尚三である。そして、彼と弟の敬三、三男の喜三が会社経営に乗り出してからは、三兄弟は才覚と社内での役割を三者三様にこなし、これが“三本の矢”となって会社を大きく飛躍させていくことになるのである。
ブレーキにシフトレバーを載せろ
「おい長、あれ困るんちゃうか?」
7400の企画を担当していた長義和が、島野敬三専務に呼ばれた。長はSIS(シマノ・インデックス・システム)と呼ばれる変速機の位置決め機構を7400に搭載した際の中核となった人物で、それ以前自転車選手時代はミュンヘン五輪とモントリオール五輪に出場。モントリオールでは日本自転車界初の6位入賞を果たした日本短距離界の名選手であった。
「SISできてええねんけど、上りで立ち漕ぎするやろ。そしたらハンドルから手が離せないから、変速できへんやろ」
「まあ、できませんね」
(中略)
「あれって因るんちゃうか。アタックされるでしょう、こっちが変速しているすきにね」
「まあ、それもヤツらの作戦ですから」
「チェンジレバー、手元にあったらいけるんちゃうんか」
シマノを世界的自転車企業に躍進させた原因は、こんな発想の柔らかさにあったようだ。
ストレスフリーという名の自転車
この物語はシマノの商品開発に対する先見性とそれに注ぎ込む情熱が中心であるが、実は本当の主人公はここに出てくる社員一人一人なのである。
前述の会話にもあるように、選手の実績を持つ社員と会社のリーダーが直接意見をぶつけ合う。リーダーは常に誰でも乗りやすい、人間にとって限りなくストレスフリーな自転車を想像する。それを、技術者であったり、元選手であったりした人々に実現するように指示する。そして、この会社では指示を受けた人々が実に誠実に、満身に力を込めて実現しようとしている。ここにシマノの世界一たる所以がある、と著者は看取する。
翻って考えれば、スポーツ現場においてもコーチは技術者(選手)-人一人に先見性を持って技術の進歩・実現を望むべく指示を出し、選手が誠意を持って答えを出そうとしたときに最高のパフォーマンスが生まれる。
実業界とスポーツ界の違いはあれ成功の秘訣は同じところに潜んでいることに、本書を読んでいると気づかされる。
私事で恐縮だが、実は8年ほど大阪に在住していたことがあり、その間にシマノのレーシングチームで体力測定やら実走中のベタルにかかる力(踏力)の測定やらを手伝ったことがある。
残念ながら、我がデーターはまったくシマノの世界的躍進には役立たなかったようだが、本書中にも当時レーシングチームをまとめておられた岡島信平氏の名前や辻昌憲監督の名前を拝見し、妙な現実感を持ちながら本書を読ませていただいた。
日本は技術立国であると言われているが、本書を読んで改めて納得した。日本はまだいける、と勇気をもらえる一冊である。
(久米 秀作)
出版元:光文社
(掲載日:2004-03-10)
タグ:開発 自転車 パーツ
カテゴリ その他
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