ザ・ミッション 戦場からの問い
山本 美香
生きることは、死ぬことのそばに
のっけから私事で恐縮だけれど、1年前のちょうど今ごろ“一命を取り留める”という経験をした。“左内腸骨動脈瘤破裂除去術”という、漢字練習帳だか早口言葉だかのような手術を緊急で受けることになったのだ。幸い、破裂の方向が隣の静脈だったので助かったが、腹腔内に出血していたら1~2分で意識は喪失し、そのまま(この世に)戻らなかっただろうと後で聞いて震え上がった。
その日は、左脚が倍ほどにも浮腫(むく)んでいて、胸は痞(つか)えるほどに脈打ち、呼吸もいちいち億劫なほどだった。苦しくて死んじゃいそうだなどと思いつつ、しかし授業では学生と一緒に飛び跳ねて騒いだりした。授業が終わって安静にしていても、やはり苦しいので病院に行った。“歩いて? 一人で? 来たんですか?”と診察途中から、妙に慌て顔になったドクターの押す車椅子に乗せられ精密検査をしたところ(すでに心不全をきたしており、身体を起こしているのが不思議なぐらいだったらしい。歩いて行くと言ったら強く制止された)、その日のうちに手術を受ける急展開となった次第。本当に死んじゃう寸前だった!
儚く不確かな中で、何を残せるか
この経験から学んだことは、“生”とは、“死”とすれすれのところにあるものだったということだ。“生きている”と疑問もなく思っていたこの状態は、実は一瞬一瞬の奇蹟が連なった、とても儚く不確かなものだったのだ。
もし死んでいたら……“俺はいったい何を残したのだろう?”“俺はいったい何が残せたのだろう?”。
さて今回は、「山本美香最終講義 ザ・ミッション 戦場からの問い」。ジャーナリストの山本美香が、2012年の春に担当した、早稲田大学での講義を採録したものだ。気合いは入っているが、肩ひじは張っていない。後進への真摯な思いが込められた、丁寧に準備された講義であることが紙面からよく伝わってくる。
山本は、ある報道社に入社して1年目(1991年)に命ぜられた「長崎の雲仙普賢岳の災害報道」が「一つの原点のようなものに」なって、「災害報道」や「戦争報道」を主な仕事としたジャーナリストである。
いかに戦地が危険であろうと、現場での取材を大切にしていた。たとえば、さまざまなジャーナリストからの報道をもとに「外堀を固めていって全体像を分析するという方法もある」が、あえて足を運び、あえて居残って取材を続けるのには「そこ=現場にいれば、耳にも聞こえるし肌でも感じるし、必ず見えてくる」ことがあるからだ。
そこに行かなければわからない“事実の核”となるものがあり、「こぼれ落ちてしまうところ、誰の手もとどかず、誰の目も入らない部分」に「置き去りにされた人がいないかを探していくのもジャーナリストの仕事の一つ」だと思っているからだ。
命は絶たれ、使命は語り継がれた
でもなぜ、そうまでして危険な場所からの取材を続けるのか。学生からの質問、「報道で戦争は止められるのか?」に対する答えが興味深い。「そういう願いがあるからこそ続けられる」というのだ。
戦争を取材するうえで山本が自らに課したこのミッション(使命)は、ことさらに語られることはないが、学生たちへのメッセージとして、また、自身の想いを確認するように、幾度となく講義の中で繰り返される。しかしながら、この年8月、内戦が続く中東シリア北部の街アレッポでの撮影取材中に、政府軍からの凶弾で斃(たお)れた。志半ばで夢絶たれた無念を察するに余りある。
この講義は、ジャーナリストコースを対象に行われたものではあるが、それに限らず生身の学生を相手にする我々にとって非常に示唆に富んだ必読の書ともいえると思う。“俺はいったい何を残すのか?”、“俺はいったい何が残せるの?”、自問する日々は続く。
(板井 美浩)
出版元:早稲田大学出版部
(掲載日:2013-06-10)
タグ:ジャーナリズム 生命
カテゴリ 人生
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