はじめての沖縄
岸 政彦
若い頃、沖縄病(沖縄にハマること)に罹患したという著者は、沖縄を専門とする社会学者になる。そして、かつての自分のように沖縄を過度に理想化したり、イメージで語ることを諫める。
この本は沖縄の、歴史や風土、社会や観光スポットの、いわゆる解説本ではない。戦後沖縄を生きたひとたちの断片的な語りの集合になっている。著者の沖縄についての語りも、そこには含まれる。著者はいう。激戦の渦中にいたひとだけではなく、九州に疎開していたひとも、北部で無事に生活していたひとも、それぞれの沖縄戦の経験を持っている。そこを区別したくない、と。
印象的な場面がたくさんある。著者の言葉を借りれば、見たわけではないのに、目に焼き付いて離れないシーンがたくさんある。とてもリアルだからだと思う。語りの細部にリアリティがある。沖縄戦の凄惨さはあらためて、すごいものがある。筆舌に尽くせるものでは到底ない。しかし、そのなかにも間違いなく、ひとびとの生活があった。今を生きる我々と同じひとの営みがあった。語りからはそのことがわかる。沖縄戦はより身近になり、そしてその悲惨さはより、想像を絶するものになる。
もともと別の国だった沖縄は、日本になり、戦争では捨て石にされ、アメリカに占領される。日本復帰後も日本にある米軍基地のほとんどは沖縄にあり、基地に関連する事件もいまだ、後を絶たない。沖縄には、沖縄と、沖縄以外の日本を示す言葉がある。うちなーんちゅ、ないちゃー、がそれだ。そんな言葉があるのは、見えない壁があるからだ。そうなった歴史や社会構造の必然がある。はっきり差別といえるほどのものであれば、まだ易しいのかもしれない。
著者は、戦後本土に就職して、その後沖縄にUターンしたひとたちへの調査を通じて「他者化」という言葉で表現した。見えないからこそ、はっきりした分厚い壁の存在、今も北緯27度線はある。
好きだからこそ、その境界を簡単に乗り越えたくない、と著者はいう。断片的な語りのなかで、沖縄ってなんだろう。沖縄ってほんと、なんだろう。と、著者は考え続ける。
(塩﨑 由規)
出版元:新曜社
(掲載日:2023-07-21)
タグ:沖縄
カテゴリ その他
CiNii Booksで検索:はじめての沖縄
紀伊國屋書店ウェブストアで検索:はじめての沖縄
e-hon