肉体マネジメント
朝原 宣治
北京オリンピック男子400mリレー決勝での歴史的銅メダルは今なお記憶に鮮烈である。そのアンカーを務め、最近現役を引退したばかりの朝原宣治氏による新書。
本書は、北京での予選が終わってからの「重圧」の模様から始まる。タイム的には3位に入れる。逆に言えば、失敗できないというプレッシャー。アメリカ、イギリスなどがバトンミスで失格となる幸運はあったが、目の前にメダルは見えていた。そこからアンカーとしてバトンをもらいゴールを駆け抜けるまでの描写は読んでいるほうも「心臓がバクバクする」くらいである。
朝原氏は、中学ではハンドボールで全国大会に出場、陸上競技は高校から始めた。以来同志社大学を経て大阪ガス入り。そこまでコーチはついていなかった。社会人になり、ドイツへ留学、その後アメリカに移った。いずれもコーチについた。途中、足関節の疲労骨折を起こし、大きなスクリューを2本入れた。そうした経験から、コンディショニングでもレースでも「感覚」を重視する姿勢が生まれる。トップアスリートの生の声が聞ける1冊である。
2009年1月30日刊
(清家 輝文)
出版元:幻冬舎
(掲載日:2012-10-13)
タグ:陸上競技 感覚
カテゴリ 人生
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肉体マネジメント
朝原 宣治
通勤途中の人混みの駅で、傘を横にして振りながら、また大きなカバンを張り出して歩いている人を時折見かける。彼らは自分の持ち物に感覚受容器をはりめぐらしておらず、移り変わる周りの状況を情報として処理していないのだろう。こうした人々は自分の身体の動きにも鈍感なのだろうか。反対に自分のことしか感じられないのだろうか。このような些事からも、アスリートの立ち居振る舞いとは普段の生活の中でどうあるべきなのかなどと、ふと考えてしまう。一般的な運動理論や技術論で説明がつくことも多いだろうが、他人が感じ得ない己の身体感覚を研ぎ澄まし、より高い境地を目指すためにはどのような考え方が必要なのだろうか。
本書は北京オリンピック400mリレーの最終走者としてオリンピック男子陸上で日本人初となる銅メダルを獲得した朝原宣治氏によるものである。短距離選手として驚異的と言うべき長期に渡り日本の陸上界を牽引してきた一流のアスリートが、体験談を通じてその考え方を披露している。タイトルは「肉体マネジメント」とあるが、その具体的な各論が万人向けに詳しく紹介されているわけではない。100mを誰よりも速く走るという、極めてシンプルな競技の道を究めんとした自身の心構えがわかりやすく書かれていると捉えたほうがよいだろう。
「自分がわからないことについては、人にアドバイスを求め」、しかし「それを鵜呑みにするのではなく、自分なりに理解し、咀嚼することで初めて自分の身につく」という原則に従い、「自分の肉体マネジメントは自分で」しながら「自分を実験台にして楽しんでいた」という。プロアスリートにとっての、いや何かの道を究めんとするすべての人々にとっての黄金律だろう。それでも、己を磨く過程は、競技場の内外にかかわらず生活の大部分をそのために捧げる「修行」である。命を削る「苦行」と感じることも少なくなかったはずだ。過酷な世界でこれほど長期にわたってそれを「楽しめ」たのは、「自分」の強靱さもさることながら、家族や仲間というかけがえのない存在を抜きには考えられなかっただろう。
朝原氏が北京オリンピックで個人種目では予選落ちしながら、リレーでメダルを獲得したということに私の勝手な思い込みをこじつけてみる。陸上は自分との戦いと言われるが、人はやはり誰かのために戦うときに力が出せるのだろう、と。またそんなときにこそ、勝利の女神は微笑むのだろう、と。
北京オリンピック400mリレー決勝を前にして、サポートする人々の思い、陸上界の先人たちの思い、家族の思い、さまざまな思いは、確かに「もう一度背負うのはしんどい」と感じさせるプレッシャーとなって4人のランナーに襲いかかったのだろう。それが第1から第3走者を務める塚原選手、末續選手、高平選手の、自分たちが憧れ追い続けてきたアンカー走者である朝原選手への強烈な思いに昇華されていったのだろう。そしてバトンとともにそのすべてを受け止めたからこそ、朝原選手は、あの最後の100mに自らが長い間望んで得られなかった境地に達したのだろう、と。
いや、あれこれ想像するのもおこがましい。それはただ現実に起こり、それを目にした人々に言いようのない感動を与えた、というだけで十分だ。それに、メダルが取れるか取れないか、また何色をとるかで雲泥の差だということも理解するが、己の選んだ道をただひたすら誠実に極めんとする人間は、それがどんな道であれ、その結果がどうであれ、格好いいのだと憧憬の念を持ってそう思う。
(山根 太治)
出版元:幻冬舎
(掲載日:2009-05-10)
タグ:陸上競技 感覚
カテゴリ 人生
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