自由。 世界一過酷な競争の果てにたどり着いた哲学
末續 慎吾
「自由」に必要なもの
「自由」というのは単に気ままという意味ではない。そのように使っても間違いではないし、そう使われることの方が多いように感じるが、なんだか薄っぺらい。そこに自律性や自発性を持つ主体があり、責任の所在も確かに棲まわせている必要があるはずだ。それでこその「自由」だ。そもそもそれは与えられるものではなく、人類の歴史の中で有志の人々の命がけの闘いにより勝ち取ってきたものだ。
一方で、精神の「自由」に限ればどの時代でもどんな環境でも持ち得たはずだ。他者、己を取り巻く環境や常識などからのみならず、自身の欲や邪からの「自由」。こちらもなかなか難しそうだ。相反する言葉のように感じるが、「自由」でいるには相応の「覚悟」が必要なのかと感じる。さて、世界の頂点を見た人たちは果たして「自由」なのだろうか。輝かしいサクセスストーリーは「自由」につながるのだろうか。
「自由」と銘打たれた本書は、陸上界世界最高峰の舞台で闘った末續慎吾氏によるものだ。40代になった今も現役陸上選手なので、末續慎吾選手と呼ばせてもらったほうがいいのかもしれない。2003年にパリで行われた世界選手権200mで短距離走日本人初となるメダル獲得。2008年の北京オリンピックでは4 ×100mリレーで銅メダルを獲得している。そのとき金メダルを獲ったジャマイカチームにドーピング陽性者が出たため、これは後に銀メダルに繰り上げになった。いずれにせよ、押しも押されもせぬ日本陸上界の英雄である。当時のテレビ画面を通じて観たその人懐こそうな笑顔、筋肉で埋まった土踏まず、そして足を低く運ぶ独特の走り方が脳裏に焼き付いている。
しかしその栄光の後、彼は突然消えた。本書で自ら表現しているが、本当に消えてしまった印象だった。そのうち燃え尽き症候群とかオーバートレーニング症候群などの言葉がどこからともなく聞こえてきた。ただごとではなかったのだろうと、ひとりのファンまたひとりのトレーナーとして胸が痛んだ。
だからこそ、2017年の日本選手権で走る姿を目にして素直に感動した。スタート前、サニブラウン・ハキーム選手の隣で観客に手を合わせている姿、後半失速してしまったが懸命な走り、レース後に笑顔で「若い奴ら速ぇ!」といったコメントを発した姿。ただ、よかったなぁと勝手に安心したことを覚えている。ちなみに本原稿執筆の2020 年11月現在で200m 走の日本記録は末續選手の20 秒03 で、サニブラウン選手でもいまだに突破できていない。
今たどり着いた境地
本書では、栄光を掴むまでの激闘後に生死の境目に足を踏み入れるまでボロボロになったところから、あの頃よりずっと「自由」な心で走り続ける現在に至るまでに、末續選手がたどり着いた心の持ちようが記されている。サブタイトルは「世界一過酷な競争の果てに宿りついた哲学」。産経新聞に掲載されているエッセイ「末續慎吾の哲学」も拝読しているが、どちらも過酷な経験を通じて得た独自の視点で描かれていて読み応えがある。
だが、物事を繊細に捉え深淵に思考する力があるということは、ともすれば心への負担も大きいのだろうと感じる。まるで周りの人の心の声が聞こえてくるほどに、物事を鋭敏に感じ取れてしまうことがあるのだろうと穿ってしまう。自分の心の声にもいつも真摯に向き合い、あるべき姿を突き詰めないではいられないように思う。これは心が相当タフでないと耐えきれない。巷で流行の漫画の世界で描かれている、常に全力で集中しているという「全集中常中」の状態など、本当ならゾッとする。年齢を重ねると共に嫌でもタフ、というより適度にいい加減にならないと保たなくなるのだろうが。本書でも後半には「だいたいで」とか、「ラクに」とか、「流されよう」などの緩い言葉が登場するが、本人にとってその言葉通りに生きるのはそう簡単ではないのだろうとも感じる。
どこに「自由」を見出すか
そもそもルールに縛られるスポーツ競技で、常に周りを満足させるパフォーマンスを要求され、毎日の居場所をも常に登録し、ドーピングコントロールを遵守し、国の威信を背負って闘う世界レベルのトップアスリート達が、「自由」な精神を持ち続けることは生半可なことではない。自らに厳しい鎖を課すアスリートならなおさらだ。だからこそ彼らは特別な存在なのだ。
確かに勝利や敗北からも、名声や羞恥からも、ルールからも、キャリアからも、「自由」という言葉の定義からすらも完全に「自由」に、自分の追い求めたいものを全力で好きなように追い求めることができたなら本当に楽しいように感じる。それでも、様々な縛りの中で苦しみ抜いてでも己を高め、それを周知に圧倒的に認めさせることにこそ「自由」があると考える人もいるのだ。
いずれにせよ人間社会に生きている限り完全な「自由」もなければ完全な「不自由」もない。様々な関係の網の中で自分のバランスが取れる立ち位置を見つけ、ありたい自分、あるべき自分でいられることが結局「自由」なのかと考える。そしてどうせなら薄っぺらい側の「自由」ではなく、ぶっとい芯の通った「自由」寄りで生きていけたほうがいいなと思う。
(山根 太治)
出版元:ダイヤモンド社
(掲載日:2021-01-10)
タグ:陸上競技
カテゴリ 人生
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