マウンドに散った天才投手
松永 多佳倫
結果的に一瞬の輝きに
病気や故障がなかったら、どんな大投手になっていただろうか。あと10年遅く生まれていたらメジャーリーグでどんな大活躍をしただろうか。諦めきれない、整理しきれないものを心の奥にしまい込み、「悔いはない」と言いきる。そんな男たちの苦闘を取材したのが本書である。
筆者は本書のテーマを「一瞬の輝きのためにすべてを犠牲にし、壮絶に散った生き様」としている。だがそれは、今さえよければ、ということではない。本当は長く一線級で活躍したかった。しかし結果的に、「一瞬の輝き」となってしまったのだ。
登板機会が与えられればうれしい。全力で投げる。ひときわ輝く才能を持っているだけに、与えられる機会も多い。それが結果的に酷使されることになる。“150キロのダブルストッパー”元中日の上原晃は言う。「潰されたとは思っていない。投げさせてもらえるのはとても嬉しいことだし、あくまでも自己管理の問題。昔はロングリリーフっていうのが頻繁にあって、決まった状態で投げていない。ロングリリーフはブルペンで準備する作業が多い。つまり、何回も肩を作らなきゃいけないので、かなり負担も大きい。でもあの当時はそれが普通だった。首脳陣に対して何の悪感情も持っていないよ」
そのフォームは正しいか
持って生まれた才能だけでやっていると、いつか故障する。だが、そのことに気づくのは、故障してからだ。
すごい球を投げている今のフォームが、無理があるのかないのか。故障につながりそうなら直さなければならないが、それを見極めるのはとても難しいと思う。うまくいっている状態をいじるのはとても勇気がいるものだし、ましてや、ずば抜けた才能を持っている者に対しては、指導者も口出ししにくいだろう。その投げ方だからこそ投げられる球なのか。それともフォームをいじったらもっとよくなるのか。もしかして持ち味を殺してしまい、ただの平凡な投手になってしまうのではないか。
元ヤクルトの“ガラスの天才投手”伊藤智仁のスライダーは、鉄腕・稲尾和久(元西鉄・故人)をして「伊藤のは高速スライダーじゃない。本物のスライダーだ」と言わしめた。その伊藤のフォームを、江川卓がテレビ中継での解説で「あの投げ方では絶対に肘を壊します」と言い、本当にそうなってしまった。江川の慧眼か、コーチの蒙昧か。それとも仕方のないことだったのか。“江夏二世”近藤真市は、現在中日の一軍ピッチングコーチをしている。彼は言う。「いいモノがあって入ってきているのだからフォームはいじらない。本人が悩んだ時やこのままでは危ないと感じたり、勝負をかけるタイミングの時にフォームのことを言う」「一番大事なのは、怪我をする前にいかにストップをかけてやれるか。これさえ念頭に置けば、あれこれいじらずブルペンで気持ちよく投げさせてやるだけでいい」、確かにその通りなのだろうが、それこそが難しいんだよなぁ、とも思う。
野茂のトルネード投法やイチローの振り子打法など、個性的なフォームで成功した選手もいる。それらを矯正しようとした当時の指導者を笑うこともできるし、やりたいようにやらせた指導者を褒め称えることもできる。だが、それはあくまでも結果を知っているから言えることなのだ。
迷いを抱えて
私は地域の陸上クラブで小学校1〜3年生の指導を担当している。その中にはめちゃくちゃな走り方なのに速い子もいれば、走り方は悪くないのに遅い子もいる。とにかく自分の走り方で気持ちよくたくさん走らせよう、と思ってはいるのだが、本当にそれでいいのか。早い段階から徹底的にドリルを行って、正しい走り方を身につけなければならないのではないか、という迷いをいつも抱えている。
私には才能を見抜く目などない。子どもたちが、いつか競技を辞めるときに「やり切った」と思えれば、それでいいと思っている。そのためには、頑丈な身体が何より大切。私は400mハードルをやっていたが、アキレス腱を痛め、思うように走れなくなって競技から遠ざかっていった。子どもたちにはそんな思いをしてほしくない。そうならないためにはどうしたらいいのだろう。
そんなことを思いながら、本書を読んだ。
(尾原 陽介)
出版元:河出書房新社
(掲載日:2013-12-10)
タグ:野球
カテゴリ スポーツライティング
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