新・野球を学問する
桑田 真澄 平田 竹男
正論の重みは変わる
「正論」とは道理にかなった正しい議論・主張と定義される。誰でもわかるような正論とおぼしき言葉が吐かれたとしても、誰がそれを放ったかでその重みは変わる。物事を大多数の人々と異なる視点からも眺められ、異なる立場に立った主張も慮り、客観的な現実をより理解する人が話す言葉なら、結局は元の道理と何ら変わらぬことであっても、真理を伴った正論と響くだろう。またそのような人であれば、多くが正論と錯覚しているものとは別の場所にある本質にたどり着くのだろう。ただ、それでも「正論」などこの世の中では取るに足りないとその存在力を失うことも多い。
師弟対談
さて、本書は元プロ野球選手である桑田真澄氏と早稲田大学大学院スポーツ科学研究科教授平田竹男氏の師弟対談記録として2010年に刊行された「野球を学問する」を単行本化したものだ。対談記録であるので、全文会話形式である。ただ文庫化に伴って両氏による新たな対談が実現し、スポーツ界の体罰問題をはじめ、松井選手の引退や松坂選手に関する話題など、新たな語りおろしが後半に収録されている。
読売ジャイアンツからピッツバーグパイレーツでの現役生活を終えた後、桑田氏は早稲田大学大学院平田ゼミの門を叩いた。社会人修士課程1年制第4期生として完成させた論文「野球道の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」が最優秀論文賞に選ばれたのは周知の通りである。同課程には現役アスリートや元アスリート、スポーツ指導者といったスポーツ現場出身の人材だけではなく、スポーツビジネスや報道関係、医療界の人々が卒業生として名を連ねている。
正論が照らし出す
桑田氏の話にはごもっともといった言葉が並ぶ。輝かしい実績がある上に、未だに貪欲に学び野球界に貢献したいと考えている人だけに、それらは心地よく「正論」として響く。「練習量の重視」から「練習の質の重視」へ、「絶対服従」から「尊重」へ、「精神の鍛錬」から「心の調和」へ、それぞれ野球道を再定義した上で、その中心となる言葉に彼は「スポーツマンシップ」を挙げている。この言葉をあえて戴くことに野球界には根深い問題が存在する印象を受ける。「アマチュア野球をよくしていけばプロ野球は自然によくなる」と述べている部分もあるが、実際はプロ野球界を根本的に改革しなければならないことは、おそらく持論を持った上で考えているのだと思う。アマチュア野球界はともかく、プロ野球界こそ、この「スポーツマンシップ」という言葉を再認識しなければならないと考えているように感じる。
だが人格と実績を兼ね備えた人がどれだけ説得力のある「正論」を吐いても、世の成り立ちはおいそれとは変わらない。「正論」より「旨味」や「実入り」のほうが、多くの人々にとってより魅力的であるということは世の常だろう。プロ野球界のように、他のスポーツ界とは一線を画す巨大な怪物たちの巣窟を根底から改革しようと思えば、平田氏の言うように、桑田氏が仮に将来プロ野球のコミッショナーに担がれたとしても、魑魅魍魎が跋扈するオーナー会議を掌握できるほどの力がなければ、何もできないままお飾りに終わるのだろう。そもそも年間144試合も行うプロ野球選手に、スポーツマンシップを要求することが現実的なのかもわからない。割り切って野球勝負師とでも呼称したほうがいいのかもしれない。
待たれる中心人物
それでも、2011年にスポーツ振興法を50年ぶりに全面改定したスポーツ基本法が施行され、2012年には同法規定に基づき「スポーツ基本計画」が策定され、スポーツ省の設置も提言されている。プロ野球界を例外としない行政側からの尽力、スポーツマンシップの名に恥じない健全なるスポーツビジネスを展開する実業界からの尽力、それを支える存在としてのファンの尽力など、さまざまな領域の大きなうねりなしにはその巨躯を動かすことはできないだろうが、今は点在するそれらを、「正論」のみならず「旨味」や「実入り」をうまくスパイスとしてまとめ上げる中心人物、ないしは精鋭チームが存在すれば面白いだろうと、他人事として無責任に考えた次第である。
(山根 太治)
出版元:新潮社
(掲載日:2013-07-10)
タグ:野球
カテゴリ その他
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