他人を許せないサル
正高 信男
最近「ガラケー」という言葉を初めて聞きました。「ガラパゴス携帯」の略語だそうで、他の地域とは独自の進化を遂げた動物が多く生息するガラパゴス諸島をもじり、他国にはない日本独自の進化を遂げた携帯端末のことを言うそうです。どうして日本の携帯電話だけが世界から孤立したような携帯電話ができたのか? 本書では日本人の持つ独特の社会性や対人関係を分析することにより、私の疑問を解消してくれました。元々は通話をするための機械を持ち運びできるようにしたものだったのが、メール機能がつき、カメラまでがついたと思ったら、インターネットやテレビ、果てはクレジットカードの役割まで付いた生活必需品にまで昇華しました。そのニーズは日本人独特の社会観にあると指摘します。
日本人の社会観の源流は「世間」という単位であり、それが農業共同体から発生したものであり、世間では横並びの平等という欧米にはない独特の価値観をもつといいます。また所属する人々は世間の中で「ぬくもり」や「ふれあい」を得ることにより安心感を見いだすという日本人独特の情緒もふまえて的確に表現しています。中でもマルクスがこういう風土を「アジア的生産様式」とう表現したというくだりにイデオロギー的な興味を覚えました。
ITという新しい表現環境にあって、そこで構築された社会は皮肉にも古来の農業共同体から発生したコミュニティーと同質の「世間」であり、それを「IT世間」と名づけ日本人の昔とかわらない社会性、さらにはそこに属する個人の心理にまで言及しています。
このような昔ながらの価値観を持つ日本人の間で急速に広がった携帯電話を中心としたIT世間における弊害も具体的に指摘はされていますが、やや強引な印象を受けてしまいました。携帯やインターネットなどのオンライン上でのコミュニケーションに振り回され、支配されているとの指摘には納得できる面も多いのですが、戦後の日本人において変化しつつある社会性や価値観などその他の原因についても考えるべき点もあるのではないかとも思うのです。
それにしても日本独自の進化を遂げた携帯電話。使いこなしているのか? あるいは使われてしまっているのか? 自問自答せずにはおられません。また掲示板・ブログ・チャット・SNS・プロフ、最近ではツイッターに至るまでオンライン上でさまざまな情報伝達やコミュニケーションの手段が生まれました。われわれはそこで何をしたいのか? あるいは何を求めるのか?
もう一度見直してみたくなりました。将来のコミュニケーションについて考えさせられる一冊です。
着眼点の面白さ、目まぐるしく進化を遂げるIT技術の中でも昔と変わらない日本人の気質、流れる川の中で木の葉の行方を見ているかのような話の展開。一気に読んでしまいました。
(辻田 浩志)
出版元:講談社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:コミュニケーション
カテゴリ その他
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