マネジメント信仰が会社を滅ぼす
深田 和範
どちらが主役か
本書は冒頭で「マネジメント」と「ビジネス」をこう定義している。「ビジネス」=何らかの事業を行うこと。「マネジメント」=事業をうまく運営すること。企業活動で言えば、何かをつくるなり売るなりして利益を得ること、つまり「何をやるか」がビジネスであり、それを最大化、安定化させるために「どのようにやるか」がマネジメントである。従って、あくまでも主役はビジネスであり、マネジメントは黒子である。「何を当たり前のことを」と思われるだろう。そう、このことについて、異論のある人はまずいないのではないか。
ところが現実はそうではないらしい。マネジメントによってビジネスが抱える問題を全て解決できるという思い込みが広がっている。そのため、営業や製造の現場の第一線でビジネスを行っている人よりも、企画や人事など本部でマネジメントを行っている人のほうがエラクなっており、主従が逆転してしまっているのだ。これがタイトルの「マネジメント信仰」である。決して、昨今の「もしドラ」(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」、岩崎夏海著・ダイヤモンド社)ブームに対するいわゆるカウンター本でもなく、マネジメントを全否定するものでもない。「マネジメント信仰」について警告を発する本である。
ただ真似るのはなぜ
これは何もビジネスに限ったことではないだろう。スポーツの現場においても同様である。強いチームの練習方法や運営方法、本に書いてあるトレーニング方法など、手法をただ真似るということは、よくあることだ。そして、それで満足してしまい、本来の目的を忘れてしまう。
なぜ、こういうことが起こるのだろう。答えは簡単。ラクだからである。すでにどこかで誰かが実践してみて、うまくいった手法というのは、自分もうまくいくという保証があるように錯覚してしまうのだろう。本書を読み始めた頃は「あるある、こういうこと」と面白がっていられるが、だんだんそうも言っていられなくなる。私は「これはウチの会社のことでは?」と錯覚したり、「管理部門に読ませたい」と感じた。本書を読んだ多くの人もそう思うはずだ。会社や上司のことだと思っていられるうちはまだいいが、「自分のことかも…」と思う箇所もあり、読み進めるのが怖くなる。
本書では、徒にデータや理屈を振り回す「真似ジメント」ではなく、「経験と勘と度胸」で勝負すべしということが書かれていて、その具体例として、うまくいった事例、失敗した事例がいくつか紹介されている。しかし本書の目的は、結果とそれに至る経緯を評価することではない。本書は「マネジメントが下手だからビジネスがダメになったのではない。マネジメントなんかにうつつを抜かしているからビジネスがダメになったのだ」という主張で始まり、「マネジメントなんて小難しいことを言っていないで、さっさとビジネスを始めよう」という訴えで締めくくられている。一貫して「意思を持て」「決断せよ」「リスクを引き受けよ」と読者に迫ってくるのだ。
信じる道を
私は小学生の陸上クラブの指導をしているのだが、常に不安を感じている。彼らの、一生に一度しかない「今」を、そして無限の未来を、私の拙い指導で台なしにしてしまうのではないだろうかという不安である。だから、あれこれ理屈をつけて、あらかじめ逃げ道をつくっているのではないのか。指導方法やトレーニング方法を勉強したり、データを集めたりするのは、子どもたちのためでなく、自分を守る理論武装のためではないのか。本書を読んで「自分のことか?」と感じるのはそういうことである。
「もしドラ」で描かれているように、ドラッカーの言う「われわれの事業は何か。何であるべきか」「顧客は誰か」の問いは、企業に限ったことではなく、あらゆる分野のあらゆる組織に普遍的なものだと思う。
何のために、誰のために、何に向かって。スポーツに関わる一人一人がその問いに向き合い、自分なりの答えを探してほしい。そして勇気を持って自らの意思で決断し、信じる道を突き進んで行かれることを願う。
(尾原 陽介)
出版元:新潮社
(掲載日:2011-06-10)
タグ:マネジメント ビジネス 組織
カテゴリ 人生
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