大旗は海峡を越えた
田尻 賢誉
おめでとう、駒苫ナイン!
今回の書評はこの試合を見てから書こうと心に決めていた。第87回全国高校野球選手権大会決勝戦。南北海道代表の駒大苫小牧対京都代表の京都外大西の試合である。駒大苫小牧は、ご存知のように昨年のこの大会の覇者である。「04年夏、駒大苫小牧は全国4146校の頂点に立った。甲子園での北海道勢初めての優勝。第1回大会から89年。ついに、深紅の大旗が津軽海峡を越えた。あれから1年が経とうとしているー。」こんな文章から始まる本書は、もちろん昨年の駒大苫小牧のこの快進撃の理由を克明に追うことを旨として書かれたものだ。
監督の香田誉士史は弱冠35歳。彼は北海道生まれではない。佐賀出身。大学も東京の駒沢大学を出た彼は、出身はおろか教員としても監督としても北海道とは縁もゆかりもなかった。その彼に駒苫の監督を勧めたのは駒大時代の恩師太田誠野球部監督だ。「『当時の子たちには悪いから、あまり言いたくないんだけど……』と前置きしながら、香田監督は赴任当時の印象をこう話す。『信じられない。これが第一印象ですね。ウチの10年前を知ってる人であれば誰でも言うと思うんだけど、これはちょっとキツイなと』」。現在の栄光の陰には信じられない過去がある、といった話はよく耳にする。グラウンドすらなかった、練習おろかグラウンドに選手すら集まらなかった等など。私事ながら監督を始めて約20年。当初私も、自分より足の遅い選手、脂肪腹を突き出して息切らして走る選手を見て何度となくため息をついたものだ。しかし、若さと夢があった。だから……そう、香田監督もだからこそできたことがある。今だからこそできることがある。スローボール打ちに雪上ノック。通常のバットの1.3倍の長さの竹バットを使ったティー打撃。「長ければ長いほど最短距離で出さないと芯に当たらないんです。これによって、ヘッドを利かせるイメージをつけたい」本書の中には、こんな香田野球の秘密がいたるところに語られている。
“コーチ”という仕事
コーチ(Coach)という言葉が普及し始めたのは1500年代と言われている。そして、この言葉は当初屋根付の四輪馬車のことを指していた。そしてここから、コーチという言葉には「人を望むところに連れて行く」という意味合いが含まれるようになったと言われる。その後1800年代には、イギリスで大学受験を指導する個人教師やスポーツの指導者にこの言葉が使われるようになったようだ。この頃でもやはり、コーチは人の望みを叶えるお手伝い的意味合いが強い。しかし、いつの間にやらコーチは助言者よりも指導者の色合いを深めることとなる。とくに日本においては何故か“監督”者の意味合いが強い。しかし、香田監督には選手を“監督”している意識はない。「外野手もキャッチャーと同じ。バッターみて、スイングや特徴を(自分で)見極めろ。(中略)失敗してもいい。思い切りやることが大切だ」。コーチの仕事は、選手の話に耳を傾けることだ。君の夢はなんだ? どんなプレーをしたい? なるほど、わかったと相槌を打ち、じゃあこうしたらどうだと助言をする。そして、最後に「君ならきっとできる」と肩をポーンとたたいてグラウンドに送り出してやることだ。こうなれば選手は自ら行動を始める。つまり自らオートクライン(気づき)を始めるわけだ。
本書は最後にこういって締めくくっている。「北海道中が再び歓喜にわく日は、そう遠いことではない。」奇しくもその願いは1年後に叶った。香田監督は勝利監督インタビューで大きなからだを小さく丸めてこう言った「自分はいつものようにどきどきしながら見守ることしかできなかった。……選手にありがとうと言いたい」さぞかし彼の眼には、自らの判断で自由に動き回る選手たちが眩しく映ったのに違いない。
(久米 秀作)
出版元:日刊スポーツ出版社
(掲載日:2005-10-10)
タグ:野球 コーチング
カテゴリ その他
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