99.9%は仮説
竹内 薫
光文社新書の1冊。副題は「思いこみで判断しないための考え方」。
プロローグで「飛行機がなぜ飛ぶのか? 実はよくわかっていない」ときた。「ン? 本当に?」と誰でも思うが、本当。一応説明はされているが、科学的根拠はない。
しかし、著者はこう言う。「よく『科学的根拠』がないものは無視されたりしますが、それはまったくナンセンスです。なぜなら、科学はぜんぶ『仮説にすぎない』からです」。したがって、仮説だから、ある日突然くつがえる。
もうひとつ、本誌の読者なら「局所麻酔についてはメカニズムが詳しくわかっているのですが(もちろん、根本原理まではわかっていませんが)、驚いたことに、全身麻酔については、ほとんどわかっていないのです!」という箇所にうなずく人もいれば、驚く人もいるだろう。教科書には、いかに全身麻酔が効くか、いかに全身麻酔薬を用いるべきかは書いてある。しかし、なぜ効くかについてはほとんど書かれていない。
どんどん恐ろしい話になっていくが、天才物理学者リチャード・ファインマンの「科学はすべて近似にすぎない」という言葉も含め、本書を読めば、「世の中はすべて仮説でできていること、科学はぜんぜん万能ではないこと、自分の頭がカチンカチンに固まっていること」を知ることになる。科学が身近になり、首をかしげることの大切さがわかります。
2006年2月20日刊
(清家 輝文)
出版元:光文社
(掲載日:2012-10-11)
タグ:科学
カテゴリ その他
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脳のからくり
竹内 薫 茂木 健一郎
新潮文庫の1冊。サイエンスライターの竹内薫氏が脳の「超」入門書として書いたもの。うち1章は脳科学者の茂木健一郎氏が書き、全体の監修も行っている。
脳科学は急速に進歩している分野のひとつ。それでもまだわからないことがたくさんある。
今、どれくらいのことがわかっているのか、「超」入門とはいえ、内容は確か。脳の構造はもとより、ゲーム脳、脳の視覚、脳のニューラルネット、壊れた脳、クオリア問題、そしてペンローズの量子論など、最先端科学が解説されていく。
ちょうど真ん中あたりで、チャーマースの「サーモスタットにも意識がある」という言葉が出てくる。「脳のつくりだす意識も、メカニズムは複雑かもしれないけれど、結局は、『ネットワーク上のエネルギーの相互作用』が原因」と科学的に考えていくと、サーモスタットにも意識があり、コンピュータやロボットとなると当然意識があるということになる。これは一部科学者にとっては常識でもあるとか。
それで納得がいくこともいろいろあるのではないか。気になる人はぜひ読んでいただきたい。
2006年11月1日刊
(清家 輝文)
出版元:新潮社
(掲載日:2012-10-11)
タグ:脳
カテゴリ 身体
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奇跡の脳
ジル・ボルト・テイラー 竹内 薫
アメリカで50万部の大ベストセラーとなった話題作。NHK BSハイビジョンで、2009年3月24日と4月2日、ハイビジョン特集「復活した“脳の力”~テイラー博士からのメッセージ」という番組も放映され話題となった。本書を一言で紹介するとしたら「脳卒中からの復活記」である。ただし、脳卒中から復活した著者のジル・ボルト・テイラーさんは脳解剖学者(神経解剖学者)だったという点が、より読者の興味をそそる。
脳の専門家が脳卒中になったら、どう感じ、どう復活していくのか、脳卒中の回復には何が必要なのかが、専門家として培った脳に対する知識と脳卒中患者当事者の両視点から書かれている。本書はおおまかに、脳卒中になる前の人生、そして脳卒中になったときの状況、脳卒中からいかに回復して神経解剖学者として復活したか、そして脳卒中が脳について教えてくれたことの4つの話の内容に分けられる。「脳卒中の体験から多くのものを学んだせいか、なんだかこの旅が幸運だったと感じるようになりました」(P.214)とあるように、全編決して悲観的な内容ではなく、自分や身内が脳卒中になっても本書を読んでいれば、脳の再生へ向けて希望を持つことができるように思えてくる。すべての人たちに読んでほしい1冊。
2009年2月25日刊
(田口 久美子)
出版元:新潮社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:脳 脳卒中
カテゴリ 身体
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理系バカと文系バカ
竹内 薫 嵯峨野 功一
日本では人を「文系」「理系」と分けて考えるところがある。その鍵は「数学」にあるようだ。数学を理解するか、あるいは数学的思考ができるかどうかで、理系、文系が決まるところがある。だが、よく知られているように、いろいろな組織のトップは文系が多い。その文系は、因数分解など社会に出たら不要だと確信している。一方で、理系のほうが人間としては文系より上であると思っている理系の人も多い。いずれもこの著者によれば、「理系バカ」「文系バカ」ということになる。
橋爪大三郎によれば、日本の理系・文系の定義は、明治時代に旧制高校が作ったものだとか。黒板とノートだけで学べる文系に比べ、理系は実験設備にお金がかかる。お金のかかる学部を理系、お金のかからない学部を文系と分類し、お金がかかる学部の生徒数は絞らざるを得なかったというのだ。そこで数学の試験をして、文理が振り分けられた。
これを読んだだけで「ムッ」ときた「文系」の人もいることだろう。しかし、著者は、理系自慢をしようというわけではなく(著者は東京大学理学部物理学科卒の理学博士、理系だが、サイエンスライターという文系でもある)、「文理融合」がこの本で言いたいことである。「知」はバランスのなかにある。これが結論だろう。
2009年3月30日刊
(清家 輝文)
出版元:PHP研究所
(掲載日:2012-10-13)
タグ:知識 教養
カテゴリ その他
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