素潜り世界一 人体の限界に挑む
篠宮 龍三
スポーツにおける人間臭さ
スポーツの世界では科学の力、医学の力が日々深みを増し、アスリートの可能性を今まで以上に引き出す手助けをしている。サポートスタッフは充実し、新しいデバイスや栄養食品などが次々に生み出され、アスリートを取り巻く環境は発展の一途だ。最先端にいる新しい領域への挑戦者たちは、あらゆる手立てを用いてその高みを目指す。そう、メジャースポーツは、だ。対極にあるマイナースポーツと呼ばれる数多くの競技は、メジャースポーツで産み落とされる様々な知見を活用することはできても、環境を整えるのには限界がある。だが、メジャースポーツにおいて鼻につくほど人工的な匂いが強くなる一方で、マイナースポーツに色濃く残る人間臭さは、スポーツ本来の姿がわかりやすく見えて好ましく感じることも多い。
競技の魅力
日本国内の競技人口が「男女合わせて100人くらい」の「体系化されていない部分がまだまだ多く、逆に言えば自由度が高い」超マイナースポーツであるフリーダイビング。本書は、その複数種目の日本記録保持者である篠宮龍三氏の「素潜り世界一への挑戦の軌跡」である。
その競技にのめり込んだ理由を、冒頭では「生まれながらに不器用な自分が日本一、世界一を狙える競技」として取り組み始めた、と山っ気たっぷりに表現されてはいるが、ごく限られた人間にしか体感できない深い海に触れられるこの競技に魅了されていることがよくわかる。プロであり、日本の第一人者である以上、このスポーツを職業として成立させなければならないし、世界記録達成や競技普及が確固たる目標になるだろうが、超自然界と一体化するような、言葉では表現しつくせない感覚を存分に味わいたいという純粋な欲求に突き動かされていることが伝わってくる。
水深30mで「水圧で圧縮された肺からは浮力が抜け落ち、ウェットスーツの浮力も及ばなくなる。両手で水をかいたりフィンで水を蹴ったりする必要はない。全身を1本の線のようにするだけで、1秒ごとにおよそ1メートルずつ潜行していく」というフリーフォールと呼ばれる状態。さらに深くなると「脳、心臓、肺といった生命維持に不可欠な中枢器官へ、血液が集まっていく。血液がどんどん送り込まれていくので、脳が熱くなる。逆に指先は、血の気が引くように冷たくなっていく」というブラッドシフトという現象。進化のために人間に至る系譜の中で捨て去った海という環境は人間を拒絶する。水の中で人間は生きられない。海深く潜るということは、死に誘われていくのと同じだ。しかし、じっと水に浮かんでいる状態であれば8分近くも息をこらえることができる人たちはその限界点を、ほぼ我が身ひとつで超えに行く。
しなやかな強さ
神秘の世界では、その魔力に完全に虜になれば生の世界に戻ってくることはできなくなるから、どこかに冷静に自分自身を見つめる目が必要だ。篠宮氏が「親のような自分を同居させる」と表現する感覚だ。そんな自分をつくり上げるためにはトレーニングのみならず、普段の生活の中で深く自分を見つめ続けることが必要だろう。生活のほぼ全てがそのためにあると言っていいかもしれない。その心構えは自分をあるべき自分に押し上げるだろう。人に賞賛されるためでも、報酬を得るためでも、社会的地位の高い存在になるためでもなく、ただ自分がありたいと願う自分にだ。
以前テレビ番組で特集されていた女性フリーダイバーを見たとき、この人は海に引きずり込まれてしまうのではないかという危うさを感じた。海に取り憑かれているのではないかというくらい、ある種の悲壮感を醸し出している気がしたのだ。しかし本書を読む限り、篠宮氏にはそのような印象は感じない。自身が渦中にあった不幸な出来事や、自身の思惑が大きく外れてしまった経験などを通じて激しく懊悩しながらも、過酷な環境で自然に溶け込むために磨き上げたしなやかな強さを感じさせるのだ。氏の目指すコンスタント・ウィズ・フィンでの世界記録達成を心から期待しているし、それが現実となれば驚異的なことだと思う。しかし万が一その数字に到達しなくとも、その歩みは何ら陰ることはない。
我々人間は様々なことを通じて自分を磨き上げていく。スポーツはその手段のひとつで、非常にわかりやすいものだ。そのスポーツを通じて己が変わっていくことを感じる中で、競技というところから純粋な鍛錬とも修行とも言うべき次元にシフトする人がいてもいいように思う。ルールや道具に縛られず、自分自身の身体も含めた自然という存在だけを話し相手に、内に外に意識を巡らせ関わりを探る。そうして自身を磨くことこそが、本来あるべき鍛え抜くという姿のようにも思える。
本書でも紹介されている禅のことばである「修証一等」は、修行は悟りのための手段ではなく、修行と悟りは不可分で一体のものだという意味である。篠宮氏は「頑張ったからといって、素晴らしいご褒美をいただけるとは限らない。一生懸命やったことが証でありご褒美だという気持ちを表す言葉だ」と考えている。心を込めて精一杯生き抜くことが、すでに何らかの証になっている。メジャースポーツであれマイナースポーツであれ、どんな環境にいてもそれは間違いのないことだと思う。
(山根 太治)
出版元:光文社
(掲載日:2015-01-10)
タグ:素潜り フリーダイビング
カテゴリ 身体
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