人類のためだ。 ラグビーエッセー選集
藤島 大
歴史的な勝利
日本ラグビー界にとって歴史的な日に、実際は深夜に、この原稿を書いている。
ワールドカップで過去1勝しか挙げていない今大会開始時世界ランキング13位の我らがジャパンが、同3位の南アフリカを真っ向勝負で下したのである。この原稿が出る頃にはさらに大きな伝説が生まれているかもしれないが、今この瞬間も涙なしにはいられない。日本中のラガーマン、ラグビーファンが泣いただろう。
試合を通じて取りつ取られつのシーソーゲームを堂々と競り合うジャパン。ディフェンスシーンもトライシーンも痺れるものばかり。3点ビハインドの試合終了直前、ゴール前に迫っていたジャパンは、ドロップゴールやペナルティゴールでまず同点を狙うこともできた。しかしそれはジャパンにとってフェアではなかった。スクラムを選択してから攻めきってのサヨナラ逆転トライ! ラグビーというフィジカル要素の強い過酷な競技の世界大会で、はるかに格上のトップチームにこの渡り合いを見せられたことは、それだけで日本という国が賞賛されるほどの結果なのだと言ってしまおう。
ラグビーへの思いの結晶
さて書評だ。タイトルからはその内容が想像しにくいが、本書はラグビーに関するエッセイ集だ。大学ラグビーのコーチを務めたこともあるスポーツジャーナリスト藤島大氏があちこちに書き落としたラグビーへの思いの結晶である。
カバー絵はラグビーのセットプレイのひとつラインアウト。空高く飛び上がらんばかりのジャンパーが掴もうとしているのはラグビーボールではない。平和の象徴白い鳩である。帯に書かれている言葉は「この星にはラグビーという希望がある」。ラグビーが人類のための存在? ラグビーが世界の希望? そんな大袈裟な。いや、ラグビーの虜になった人は思うだろう。南アフリカ戦に魅了された人は思うだろう。さもあらん、と。
本書では、古くは1995年に書かれたものから最近のものに至るまで、少々芝居がかった独特の言い回しで、歴史的な話もまるでそこに居たように描写し、先人たちの金言を散りばめながら、そう思わせるようなラグビーの真の価値に触れている。
元日本代表監督でスポーツ社会学者の故・大西鐡之祐氏の「闘争の論理」が所々で紹介される。曰く、「戦争をしないためにラグビーをするんだよ」。曰く、「合法(ジャスト)より上位のきれい(フェア)を優先する。生きるか死ぬかの気持ちで長期にわたって努力し、いざ臨んだ闘争の場にあって、なお、この境地を知るものを育てる。それがラグビーだ」。曰く、「ジャスティスよりもフェアネスを知る若者を社会へ送り出す。『闘争を忘れぬ反戦思想』の中核を育てることが使命なのだ」。闘争することを知らない若者が、自らを取り巻く過酷な現実から目を背けイベントのようにデモに集まる姿を最近目にして、なんだか心が冷えるような思いをした。これらの言葉はそこに火を入れてくれるように感じる。積極的に闘争せよと言っているわけではない。「世の中は平和で自由だが、物事に対して畏れ慎む気持ちを忘れてはならない」。オソロしいから「悲観的に準備し、それを土台に大胆に勝負する」ことが求められるのだ。
まるでこのワールドカップに向けてエディージャパンが体現してきたことのようだが、これは戦後の秋田工業を率いた名指導者佐藤忠男氏の言葉である。ラグビーの世界に止まらない響きがある。
なぜ希望となり得るか
ラグビーは闘争である。だからこそ可能な限りの準備を整える。しかし闘争だからといってフェアネスを欠いたプレーを重ねると、結果自らを、そして自らの仲間を貶めることになる。仮にルールをギリギリのところでラフな側に解釈し、フェアネスよりもジャスティスを都合よく利用するようなチームがあったとしても、腰を引くことなくかつ自らのフェアネスを曲げることなく正面から戦い抜くこと、それがラグビーにおける真の正義なのだ。
歯車という言葉はネガティブに使われることが多いが、ラグビーは実にさまざまな形や大きさの歯車がそれぞれ自分の役割を果たしてひとつの大きな力を発揮するスポーツである。そこでは互いに噛み合う多様な人たちを認め合うことを知り、ひとりでは何もできないことを身をもって知ることになる。同時に誰かのために心身を賭すことを覚えるのだ。
そして「競技規則とは別に『してはならないこと』と『しなくてはならないこと』は存在する」ことを確信する。想像してほしい。たとえば自分より20cm背が高く、体重では30kg重い巨体が勢いをつけて自分に向かって突進してくる姿を。勇敢なラガーマンであればそこから逃げ出したり、小細工をしようとすることはありえない。怖くないわけではない。その原動力は戦うための過酷な準備を通じて築き上げたプレーヤーとしての誇り、だけではない。共に汗を流し同じ目標を掲げ互いに認め合った仲間との絆、だけでもない。相手選手への敬意や、支えてくれた人たちへの感謝などさまざまな事柄をも受け止めて、やるべきことを正々堂々実行するのである。結果的に仰向けにひっくり返されたとしても決して退きはしないのだ。
このような状況に置かれることは人生の中でそう多くない。だからこそ、それが当たり前のラグビーをとことん経験することは、人のあるべき姿を追求することになり、人類のためのかけがえのない希望になり得る、ような気がするではないか。
酷な準備を経て南アフリカ戦を戦い抜いたジャパンのメンバーは、まさにそれを見せつけてくれたではないか。だから、強豪に勝ったという事実以上にあの試合はラグビーを知る者たちの心を揺さぶったのである。「人類のため」という言葉が大きすぎるとしても、「少年をいち早く男に育て、男にいつまでも少年の魂を抱かせる」この競技に正しくのめり込んだ人は人生にとってかけがえのないものを得られる、ということに異論はないだろう。
(山根 太治)
出版元:鉄筆
(掲載日:2015-11-10)
タグ:エッセー ラグビー
カテゴリ スポーツライティング
CiNii Booksで検索:人類のためだ。 ラグビーエッセー選集
紀伊國屋書店ウェブストアで検索:人類のためだ。 ラグビーエッセー選集
e-hon