「こつ」と「スランプ」の研究 身体知の認知科学
諏訪 正樹
身体知の学び
「Don't think! Feel!」。ブルース・リー主演の映画『燃えよドラゴン』(1973)の冒頭で、リーが弟子の少年にカンフーの稽古をつけるシーンでの有名なセリフである。
本書のキーワードは「身体知」。身体と頭(言葉)を駆使して体得する、身体に根差した知と定義されている。コオーディネーション、アフォーダンス、暗黙知、自動化、オノマトペなどの様々な知見を織り交ぜ、身体知の学びについて探求している。
熟練とは、膨大な反復練習によって身体が勝手に動く境地に達している状態であり、思考や言葉は不要であるというのが大方のイメージだろう。だが、本書では言葉の重要性を説いている。身体の細部にわたって「ああでもない、こうでもない」と言葉を駆使して模索する時期を経て、それらが収束し包 括的な言葉にすべてが含意されるようになり、さらに上達を目指してこの二つが交互に出現する動的プロセスが学びである、というわけだ。
言葉による認識
『はい、泳げません』(高橋秀実・新潮社)は、前代未聞のスイミング・ルポ、と銘打った不思議で抜群に面白い本である。泳げない著者が美人鬼コーチの指導のもと、言葉を駆使した指導によって泳げるようになっていく。著者がどうにも及び腰なのがたまらなくおかしいし、言葉によって着眼点がはっきりしたり、やっぱりなんだかわからなくなってしまう様子も面白い。
私もスポーツ指導者の端くれであり、体感を言葉にすることの大切さは痛感している。この美しき鬼コーチはすごい人だ、と感心する。
本書では、言葉によって気づかなかったものが意識されるようになる例として、ダルメシアンの画像というものが示されている。単なる白黒のまだら模様が「これは犬の写真です」という説明でダルメシアンが見えてくるのだ。
逆に解釈すると、よくわからないものを言葉で表すことは意味を固定することだとも言える。輪郭がは っきりする代わりに、その周辺のぼんやりした部分を切り捨てているのではないだろうか。よくわからないものをあえてそのままにしておくことで、逆に認識されることもあるのではないか。言葉は曖昧なものにアクセスするための入口ではある。しかし、言語化することで、かえって不自由さが増してしまうこともあるのかもしれない。
トップ選手の動き
私の手元に「陸上競技マガジン 7 月増刊‘91東京・世界選手権に見るトップアスリートの技術」(ベースボール・マガジン社)という資料がある。当時大学生だった私は住んでいたアパートの部屋で手に汗握ってこの大イベントをテレビ観戦していた。長嶋茂雄さんの「ヘイ! カール!」の記憶もいまだ鮮明である(若い人には何のことやらわからないだろうな)。
この資料には、東京世界陸上におけるトップ選手の技術を測定・分析した貴重なデータが載っている。男子100m決勝のデータを分析した結果、そこで提唱 されているのが「脚全体を1本の棒のようにしたキック」。分析では、カール・ルイス( 1 位、9 秒86、当時世界記録)とリロイ・バレル( 2 位、9秒88)と大学男子短距離選手29名(ベスト記録10秒60 ~ 11秒50)とを比較している。比較している要素は、膝関節・股関節・足関節の伸展速度など。分析の結果、大学選手と大きく違うのは股関節の最大伸展速度(大腿の後方へのスイング速度)が高いこと、膝関節と足関節の伸展速度が低いことであった。そして、次のように結論づけている。
「ルイスは大腿の後方スイング速度を、膝を固定する(膝全体を 1 本の棒のようにする)ことで、効率的に足先のスイング速度に変えている。(中略)これまでの我々の常識を打ち破るキック法であることは間違いない」
しかし果たして、ルイスやバレルは「膝を固定」する意識だったのか。それとも、何か別の意識の結果なのか。
この世界陸上から25年。リオ五輪陸上男子 4 ×100mリレー決勝。日本チーム銀メダル。ライブでテレビ中継を見ていた。絶叫した。「うおー! スゲェスゲェスゲェ !」。感動なんていう澄ました言葉では言い表せない歓喜。まさか日本がアメリカの前を走るなんて。
これは「常識を打ち破るキック法」を日本人選手が体得した成果なのか。それとも、もっと違う感覚や技術の賜物なのか。そしてそれは、どんな感覚なのだろうか。
(尾原 陽介)
出版元:講談社
(掲載日:2016-12-10)
タグ:こつ スランプ
カテゴリ スポーツ医科学
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