いのちは即興だ
近藤等則
模倣から独自性へ
北京オリンピック(2008年)陸上男子400メートルリレーの銅メダル獲得は記憶に新しいところだが、近年の陸上短距離走における発展には、“日本人らしい走り”の追求がきっかけとなっていることは間違いないだろう。
人類史上、100メートルを9秒台で駆け抜けた選手は、そのほとんどがアフリカ系のいわゆる“黒人”であることから、彼らの走りを研究し、なかば模倣することで速くなろうということが永い期間にわたって行われてきた。それを脱却し、“なんば走り”や“すり足走法”などと呼ばれる日本古来からある身体の使い方で持って世界に通用する走りが工夫され、現在の成功が導かれるようになったのである。ただ“○○走法”というのは理解を助けるための1つのキーワードだから、本来あるそれとは意を異にするとも考えられるが、要するに“自分らしい”走り方を見つけそれを極めることが重要であると、このことは物語っている。
大地が共演者
さて、本書の著者、近藤等則は世界を股にかけて活躍するジャズ・トランペット吹きである。最近は「地球を吹く(Blow the Earth)」と題して、人間相手ではなく世界各地の大地そのものを“共演者”として活動しており、演奏場所は「イスラエル・ネゲブ砂漠を皮切りに、ペルー・アンデス、ヒマラヤ・ラダック、沖縄・久高島、アラスカ・マッキンレー、熊野など」多岐にわたる。
ジャズの特徴として、“インプロビゼイション(即興演奏)”がある。とはいえ、テーマとなるメロディやテンポはあらかじめ決められており、「そのあとその」テーマ「のコード進行に基づいて」即興演奏をしていくのが一般的である。近藤が目指したのは、「演奏が始まる前になにもきめない」ことが「唯一の約束事」といった、最もラディカルな部類のフリー・ジャズだ。したがって、人が相手でも、自然が相手でも、演奏は全くの即興で行うということが彼独特の演奏スタイルということになる。
では何を拠りどころとして“共演”するのか。それは、「場の空気」や「バイブレーション」である。「地球を吹く(Blow the Earth)」では、「人類が登場する以前のバイブレーションがまだ残っている地球のあちこちで演奏」するとして、たとえば「イスラエルのネゲブ砂漠」は「ヨーロッパ大陸、アジア大陸、アフリカ大陸、三つの交差点」「だからユーラシアのへそ」であって、「その昔、モーゼがさまよい、ヨハネやキリストがいた場所」のバイブレーションを感じながら演奏をするのである。
本当の強さ
「ジャズというのは黒人の音楽」である。二十歳のとき「プロのミュージシャンになろうと決心した瞬間、からだが凍りつくぐらいのショックがあった」と彼はいう。「感動していればよかった」側から、「感動させる側に回らないといけない」ことに気づいたものの、「あるときチャーリー・パーカーのレコードを聴いていたら、突然そのアルト・サックスの音が黒人のスラング英語で話しかけているように聞こえ」たからだ。
しかし「ジャズから音楽を始めるけれど、ただ黒人のコピーをする」のではなく、いずれは「自分の音楽に行く」この方法しかないだろうと思うことで克服している。彼らのような「厳しい人生体験もしていない自分が、どうしたら彼らと対等か、それ以上の何かを持てるようになるだろうかと考えたとき、唯一学べるのは、日本の求道者や絵描き」ではないかと思ったというのだ。
スポーツと音楽、ジャンルは違えど、自分の拠って立つべき精神性を発揮した人は強い。「トランペットを吹き始めてから四十七年になる」ミュージシャンの半生である。独特の視点で世の中を眺め、行動している姿は示唆に富んでおり魅力的である。とはいえ「短気で、ストレートな性格のせいか、ホラ貝吹きの海賊の血を受けついでいるせいか、ラッパに惹かれてしまった」男の半生、その駆け出しの頃の記述は必勝抱腹まちがいない。
(板井 美浩)
出版元:地湧社
(掲載日:2010-02-10)
タグ:陸上 音楽
カテゴリ 人生
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