「遊び」の文化人類学
青柳 まちこ
「遊び」をテーマに書かれた本ではありますが、意外なほどその内容に遊びはありません。むしろ純粋なる学術的研究発表の性格が色濃く出ます。
本書を語るにあたってオランダの歴史学者ホイジンガとフランスの社会学者カイヨワの存在は無視できず、彼らの研究が下地になっているともいえるでしょう。ただ筆者はホイジンガの「ホモ・ルーデンス」ではヨーロッパの文化に立脚した視点にとらわれて客観的評価はできないと指摘したうえで、独自の視点で「遊び」を評価・分析をしています。確かに本書は筆者の主観的要素を排除しているようなのですが、その分無機質な印象を感じました。読み物として捉えた場合、読み手が何を求めるかによっても両者の評価は変わるように思います。
「遊びとは何か」という命題から本書ははじまりますが、「競争」「表現・模倣」「偶然」「めまい」という要素を基軸とするとするカイヨワの「遊び」の定義づけをベースにしてさらに深く分析を進めます(批判的な部分もありますが)。
すべての行動から動物として必要な生存や種族保存などを目的とする行動を除いたものを余暇行動として、それを遊びと定義するならばその範囲はあまりにも膨大になります。そういった広範な「遊び」をいくつかの要素に分類するところは説得力十分。細やかな分類と具体的な例を挙げての評価は世界中いろいろな形式で存在する遊びを整理しています。そしてそれらの遊びがどのように伝播していったかという遊びのネットワークも論じられ、多方向からの視点による切り口で解明されます。
納得しつつ読み終わって、1つ疑問が生じました。本書が書かれたのは1977年なのですが、当時と今とでは情報の流通のシステムが変わりました。ネット社会になって近年社会も急激な変化を見せました。はたして本書の定義が今も変わらず当てはまるのだろうかということです。ホイジンガやカイヨワのころと青柳氏のころでは時代背景が異なります。それと同じように現在と昭和中期とでは背景の差は歴然です。「遊び」の定義にも時代背景による考え方の差を感じたのですから、今という時代においてまた違った要素も芽生えているかもしれません。「遊び」と「文化」が限りなく近いものであるとするならば、そういう可能性があるようにも思えるのです。21世紀という時代の遊びはどのように評価されるのだろう? そんな興味がわいてきました。
(辻田 浩志)
出版元:講談社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:遊び
カテゴリ その他
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