語りきれないこと 危機と傷みの哲学
鷲田 清一
東日本大震災のことを主題として、語ること、聞くこと、待つこと、の重要性を指摘する。それはとくに有事の際、危機的状況の中で、より際立つのだという。
なにかしてあげたい、そう誰しもが思う。しかし、悲しみや絶望の渦中にあるひと、底知れぬ闇を抱えたひとに、なにができるだろう。よかれと思ってすることが、裏目に出てしまうことも、ケアの現場では多いのではないかと思う。反面、ただ一緒に居てくれるだけで、救われることもある。
かつてイヴァン・イリイチは、ケアのプロのことを「ディスエイブリング・プロフェッショナルズ」と呼んだ。ケアのプロから提供される高度なサービスと反比例するように、市民一人ひとりが、命の世話をする力を失っていくさまを、揶揄した言葉だ。
医療や教育の現場を、ビジネスの指標で測るといけないのは、この「間」をこそ、もっとも大事にしなければいけないからではないだろうか。余白を埋めるような効率化の概念が塗りつぶしてしまう、いきいきとした生。イリイチが脱学校、脱病院と言ったのもその意味だったように思う。
とはいえ、いろいろなものに依存しなければ生きていけないのが現実だ。著者は、相互に支え合う関係(インターディペンデンス)を他者と築くことを勧める。抱え込むことなく、押し付けあうでもない、持ちつ持たれつの関係性といえばいいのだろうか。
前提として、お互いのことをある程度わかっていること、さらに損得を基準にしないこと、などは含まれるのだろうと思う。
(塩﨑 由規)
出版元:角川学芸出版
(掲載日:2023-02-07)
タグ:哲学 ケア
カテゴリ その他
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