なぜ人は砂漠で溺死するのか? 死体の行動分析学
高木 徹也
砂漠で人が溺死する? 砂漠では、脱水で死ぬより溺水で死ぬ人のほうが多いらしい。年間降水量30~40㎜、年間降雨日数7日程度しかない町に年間降水量の2倍近い雨が短時間で急に降ったら、道路はたちまち冠水し、市街地を鉄砲水が流れていく、砂漠という土地柄では泳ぎに習熟している人が少なく、多くの人が濁流に呑み込まれ命を落とす結果となった。
本書は上記の内容を詳しく書いているわけではない。杏林大学医学部法医学教室准教授、東京都監察医務院非常勤監察医、東京都多摩地区警察医会顧問であり、不審遺体解剖数日本一の法医学者高木徹也氏による「不慮の死」をめぐる医学ルポである。
タイトルは人は死にやすいということを示しているのだろう。日本の死亡者の約20%は異状死であり、意外な場所、意外な原因で多くの人が死んでいる。本書を読んでいくと、こんなことで死んでしまうのかと気づき、状況だけで判断して一方的に決めつけられない死の分析がドラマのようで引き込まれていく(著者は『ガリレオ』『コード・ブルー』などのドラマ監修者でもあるようだ)。
我が国日本では、交通事故で死ぬより風呂場で死ぬ確率のほうが2倍も高く、風呂溺大国なんていう皮肉で書いているが日常での意外な場所での死亡内容が印象に残る。他にも多様な自殺、性行為での死など、死について改めて考えされられる。現場などで活躍する人が本書を読んでいるとこのサインはこの症状の表れなんじゃないか? と考え死を未然に防げる内容になっているところもあり、お勧めの一冊である。
現在の日本では犯罪や事件性がなければ解剖が行われない地域がほとんどとあるが、解剖もしないで犯罪や事件性がないとするのは危険な判断。死を身近に感じられる教育や死因から目をそらさない環境づくりができれば、日本人はもっと生を大事にできると著者はいう。
(安本 啓剛)
出版元:メディアファクトリー
(掲載日:2012-01-18)
タグ:法医学 リスク 死生観
カテゴリ 人生
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あの実況がすごかった
伊藤 滋之
スポーツは現場で観戦するのが1番とよく言われている。その通りではある。ただ、実況中継でしか味わえない感動「ドラマ」がある。この本を読んだ直後、スポーツを中継で見たいと思った。
この本の筆者は放送作家という立場で、多くのスポーツドキュメントやバラエティ、中継に携っている。大会の見どころを伝える事前番組の企画、注目選手のキャッチコピーを考えるような仕事をしているそうだ。この本では、そのような経験をもとに、スポーツ中継の舞台裏を徹底的にわかりやすく語っている。
「ついに夢の舞台へ。日本人初のNBAプレイヤーとなった田臥勇太、24歳」というように、第1章は英雄たちのデビュー戦から始まる。第3章の冒頭30秒の名文句では、こんなにもメッセージが綺麗に、時に静かに、時に強く語られているのかと惹かれた。松木さんの解説は、面白くて共感していたが、実に鋭い洞察力と勘からなっているのが理解できた(第5章 予言する解説者)。懐かしいものも多々ある。アトランタ五輪初戦のブラジル戦(マイアミの奇跡)、アテネ五輪の体操王国の復活。その中でも、長野五輪のジャンプ団体での大ジャンプ。「まだ距離が出ない、もうビデオでは測れない、別の世界に飛んでいった原田!」解説を読むだけでも、あのときの感動が蘇る。
カメラの先には全力でメッセージを発信しようとするアスリートたちの姿があり、彼らと心を一つにし、熱い思いを伝えようとするテレビの存在がある。プレーであれ、態度であれ、表情であれ、アスリートが抱く真摯な気持ちを一人でも多くの人に伝えること、それこそがテレビが担うべき役割。筆者の職を超えた熱い思いの一冊である。
(服部 紗都子)
出版元:メディアファクトリー
(掲載日:2012-10-16)
タグ:実況 報道
カテゴリ スポーツライティング
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寄りそ医 支えあう住民と医師の物語
中村 伸一
役に立つ機能から離れて
体育とは“体で育む”と読みたいものだと、しばしば本コラムでは述べてきた。体育の本質がそうあってほしいからである。“からだ”で表現し、“からだ”を見つめ、“からだの声”に耳を傾けるといった身体感覚に気づき、人と人との間に“体で”何かを“育む”ということは“体を育てる”こと以上に大切なことだという考えが頭に浮かぶ。いったい何を育むのだろう。それは“愛”であったり“信頼関係”であったり、要するに“絆”を互いの体を通して育むことだ。“からだ”をみつめるということは、“いのち”を見つめること通じることであると思うのだ。
そもそも人が体を動かすのは“心地いい”と感じる何かがそこにあるからだろう。その上に、たとえば競技での成功を目指したり、自己実現のため、健康増進・維持のため、あるいは美容ダイエット(減量)を決意してなどなど、さまざまな動機を乗せて運動やスポーツを実施している人が多いことと思う。そして、それらの運動を安全に、効果的に行うための役割を“体を育てる”体育は担っている。
このような“体を育てる”体育が重要であることは論を俟たないところであるが、この考え方に重きを置きすぎると、何らかの理由(高齢・病気・事故)で歩くことが困難になった人や、あるいは寝たきりになった人に対して“体育”は成り立たなくなってしまう。人の体力には限界があり、命にも限りがあるからだ。
いっそのこと、さまざまな“役に立つ機能”を取り払ってしまい、“心地いい”というエッセンスだけを“体育”の場に残してみると、マッサージをすることや、手を握ること、究極的には近くに身を寄せることだけでも互いの体から発せられる信号を感じ合い、その場に“体で育む”体育が成立するといえるのではないだろうか。
“寄りそう”医師
さて、本書「寄りそ医」である。私の勤める自治医科大学の卒業生、中村伸一の手になるものだ。本学は“医療の谷間に灯をともす”(校歌より)ため、へき地での医療や地域医療を支える目的で、1972年に開設された大学である。中村は、その12期生として卒業し、福井県の名田庄村(現おおい町名田庄地区)の診療所で一人常勤医師として、医師としてだけでなく包括的に村の医療を支え続けている「アンパンマン」である。
専門医が「さっそうと現れて難しい手術をこなす」「かっこいい外科医」のような「ウルトラマン」的存在だとすると、総合医は「人の暮らしに寄りそう地域医療者」であり「医療スタッフはもちろん、ジャムおじさんのような村長やカレーパンマンみたいにパンチの効いた社協局長、メロンパンナちゃんを思わせる看護師や保健師、介護職に支えられる、アンパンマン」的存在だ。しかし、「うまく連携することで両者の特性が、より活きる」ものなのである。
地域の診療所では、患者を「看取る」割合が都市部の病院に比べ高い。しかも「家逝き看取り」の割合が、この名田庄村では全国平均より圧倒的に高い。これは医師の力のみでなく、地域の福祉体制や、住民の意識などの条件がよほど揃わないと叶わないことである。医者が患者を診るという関係より、互いに“寄りそい””寄りそわれる”関係で日々の診療がなされていないと、こうはなりそうにない。
高齢者がガンなどの疾病や老衰により比較的静かに亡くなっていくとき、中村は医師として“医学”的手段を振り回すのでなく、“医療”者として(今は亡くなっている)患者とその家族に静かに“寄りそう”のである。家族もまた中村に“寄りそう”姿は、悲しくも崇高な場面である。
学生(医学部に限らない)という、生身の体を相手にする体育教師の仕事ってなんだろう。やはり“体で育む”体育の場をつくることがまず基本なのだと思う。そしてその基本を実践するためには、“寄りそう”ことがスタートであり、ゴールでもあるような気がしている今日この頃である。
(板井 美浩)
出版元:メディアファクトリー
(掲載日:2012-04-10)
タグ:体育 地域医療
カテゴリ 人生
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ゼロから始めるトライアスロン入門
白戸 太朗
スイム・バイク・ランからなるトライアスロンは、過酷でハードルが高い競技と思われがちだ。プロトライアスリートの著者が、まずその先入観を壊すべく、実際には時間や予算、年齢の壁は存在しないも同然だと示す。次にトレーニングと休養の基本について紹介、続いて各種目のコツにも触れる。さらには全国で開催される大会のスケジュールやエントリー手順、大会前日の過ごし方といったことまで言及されているのが本書のユニークな点だろう。
1つのレースに完走する頃には、達成感や仲間、健康な身体といったものを得たことに気づける。
そこに至るまでの悩みや不安を取り除いてくれる本書は、競技の魅力を最大限に伝え広める存在と言っても過言ではない。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:メディアファクトリー
(掲載日:2015-02-10)
タグ:トライアスロン
カテゴリ 運動実践
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なぜ皇居ランナーの大半は年収700万以上なのか
山口 拓朗
この本を読み進めている途中、私は皇居でランニングがしたいと思い、実際に走ってきている。本書の中で『本書を閉じた直後に、「ランニングって面白そう」「ちょっと走ってみようかな」と思ったなら、本書の目的は達成したといえるだろう』と述べている。筆者のこの言葉を読む前から、私はまんまとランニングに行っている。目的は達成されたのだ。
私がランニングに駆り出された理由は、皇居ランナーならご存知、花の輪プレートを見るためだ。皇居外周の歩道には「花の輪プレート」と言われる47都道府県の花、千代田区の花、花の輪記念のマークがプレートになり100mごとに50枚、皇居外周の全長5kmにわたり埋め込まれている。私も皇居を何度か走ったことがあったが、実はこのプレートの存在を知らなかった。だったら走って確認だと思い、行動に移したのだ。
筆者の本当の思惑とは違うかもしれないが、この本をきっかけにランニングに行ったことは間違いない。私にとってはそれがランニングのモチベーションになったのであって、他の方が読んだときには他にきっかけが見つかるかもしれない。なぜならば、本書には他にも走りに行きたくなるような情報が詰まっているからだ。
まずタイトルにもあるようになぜ皇居ランナーになぜ高収入者が多いかを検証している。皇居で走ることの魅力がよく分かるので、皇居近くに住んでいる方にはそそられる情報だ。そして、皇居ランナーでなくてもランニングをすることで得られるビジネス能力や、脳・健康への効果、やりがいを丁寧に分かりやすい言葉で説明している。中でも印象に残っているのはランニングで養われるビジネス能力で「逆境を克服する力」が身につくと説明されている部分だ。
ランナーの力発揮の場としてマラソン大会がある。もちろん自分のペースで走るのだが、フルマラソンであれば42.195kmをより短い時間で完走したいと思うのが出場者の本音だ。身体が重く、足も痛む、苦しさや辛さが何度訪れても、なんとかしてそれを乗り越えようとする。マラソン中に自分に都合のいいことなんてほぼほぼない。それでも諦めずにゴールに向かう。折れない心が身につくのだ。
誰もが想像できるようにマラソンは苦しいものでもある。それでもランナーは走りたがる。ランニングを友人に勧める。それはランナーがランニングのよさを知っているからだ。苦しさの先の楽しさを味わったことがあるからだ。ランニングに挑戦しなければ、それを知ることはできないのであろう。ランニングの価値とは一体どんなものなのか。この一冊で頭で理解する。そしてランニングをして身体で感じていただきたい。
最後に、運動指導者として読んだ私としては、ランニングも含め運動をより多くの方に楽しんで実践していただくために、どう伝えたら分かりやすいのか本書で学ばせていただいた。本書との出会いで、ランニングや運動を始める方が増えることを、私も願う。
(橋本 紘希)
出版元:メディアファクトリー
(掲載日:2016-06-11)
タグ:ランニング マラソン
カテゴリ 運動実践
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サッカー日本代表が世界を制する日 ワールドクラスへのフィジカル4条件
高岡 英夫 松井 浩
運動科学者の高岡氏と、スポーツライターの松井氏が取り組んできたテーマ「日本サッカーが世界の頂点に立つには、結局、何が必要なのか」という“自問”に対し、「ワールドクラスへのフィジカル4条件」という解答を示す。選手の動きや身体つきなどから独特の発想で真理を説こうとする高岡氏らの視点が面白い。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:メディアファクトリー
(掲載日:2002-03-10)
タグ:サッカー
カテゴリ 身体
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働かないアリに意義がある 社会性昆虫の最新知見に学ぶ、集団と個の快適な関係
長谷川 英祐
働かないアリの存在意義
「働かないでお金儲けできるってよくないですか」。少し前に卒業した教え子が突然こんなことを言い出した。ビジネスで成功し、将来的に左うちわで過ごしたいというのではあれば、まあ面白いかと話を聞いた。どんな壮大なビジネスプランが飛び出してくるのかと思いきや、何のことはない。マルチ商法にはまってしまっただけだった。久方ぶりに文字通りの落胆というものを味わった。
さて本書の著者長谷川英祐氏は、アリやハチなど「真社会性生物」専門の進化生物学者である。読者はまずタイトルである「働かないアリに意義がある」を一見して、どう感じるだろう。よく働くものだけを取り出してコロニーをつくった場合と、働かないものだけでそうした場合とを比べると、双方とも「同じような労働頻度の分布を示す」という、いわゆる「2:8の法則」や「パレートの法則」と呼ばれるものを思い出すかもしれない。確かにある種のアリでは、それが真実として認められるそうだ。
では、なぜそうなるのだろう。働かないアリは本当に働きたくないから、楽をして生きていたいから働かないのか。巣に引きこもって外に出ようともしない彼らに一体どのような存在意義があるのか。本書で非常に興味深い説明がなされている。トレーニングに詳しい人には、運動生理学で学んだ「サイズの原理」がヒントになる。筋肉を筋線維のコロニーだと考えるとわかりやすいはずだ。
本書の読後は人間の個体もいわば60兆からなる細胞のコロニーだという感覚を新鮮に持つこともできる。個体の中に、生殖細胞を維持するための完全な社会を持つのだと。
アリとヒト、それぞれの社会
同じアリやハチでもその種類によって生態は異なり、全ての種にその法則が当てはまるわけではない。全てのコロニーメンバーが完全な遺伝的クローンとなる「クローン生殖」や、社会システムにただ乗りし、働かずに自分の子を生み続ける「フリーライダー」など、興味深いさまざまな「真社会性生物」の生態を、本書では生物学者のハードワークに舌を巻きながら楽しむことができる。著者が「人間から見ると信じられないような、他者を出し抜いて自らの利益を高めるような生態」と呼ぶ行動も、自分の遺伝子を残すための工夫だと思えば、まだ許されるようにも思えてくる。それより、お金のためにそのような行動に出ることのある人間のほうがアリには信じられないだろう。
ヒトは本来、過酷な環境を生き残り、自分の遺伝子を次世代に伝えるために働いたのだろう。より効率的かつ安全に生活するために群れをつくり、社会が生まれた。生物としては奇跡的な進化を遂げてきたヒトは、そこで膨大な付加価値を創造してきた。それらの価値の重要な尺度となる貨幣は、社会で生活するための必需品で、自分が分担している労働価値を他の価値に変換することができるツールでもある。しかし貨幣そのものが働く目的となり、貨幣が貨幣を生むような構図は、その是非はともかく、よほどの良心が存在しない限り、さまざまな問題をも生み出してしまう。
その卑小な例であるマルチ商法に没頭している元教え子は、フットサルやバスケットボールのスポーツイベントと称した集まりを企画し、自分に縁のある同窓生をかき集めている。彼らが信じる「素晴らしい考え」を多くの人に伝えたいと称してはいるが、将来自分が楽をするためのカモを身近なところで探しているわけだ。遺伝子を伝えるためにではなく、自分の金づるとなる子や孫をせっせと増やそうとしているその行動は、アリには到底理解できないだろう。「利他者」の顔をした「利己者」は、自分が本当に「利他者」と思い込んでいる分、性質が悪い。自分の考えに賛同してくれない人間は付き合う価値がないとたたき込まれているようなので、在校生や他の卒業生を守るための手を打ちながら、その本人とは一線を置き、指導者としての苦みをかみしめながら放置せざるを得ない。ただ、この本は読んでみてもらいたいとは思う。
(山根 太治)
出版元:メディアファクトリー
(掲載日:2011-09-10)
タグ:進化生物学
カテゴリ その他
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