君なら翔べる! 世界を魅了するトップスケーターたちの素顔
佐藤 信夫 佐藤 久美子
おもろい夫婦
トリノオリンピックでの荒川静香選手の金メダル獲得の余韻が覚めやらぬ3月下旬、今度はカルガリーでフィギュアスケート世界選手権が行われた。この大会にはトリノ大会4位の村主章枝ほか、中野友加里、恩田美栄の三選手が出場。いずれも世界トップ水準の選手たちだけに、大会期間中は多くのファンが再び“金”メダル獲得への期待を膨らませた。
ところで、フィギュアという種目はテレビで見ていると(評者はテレビでしか見たことがない)、画面には演技直前リンク上で選手がコーチとなにやら会話を交わしている姿が先ず映る。そして、演技が終了すると選手は審判団の採点結果を待つ席に移動するが、そこにもコーチがしっかり横に座っている。これほど、コーチが選手に密着するスポーツは他にないのではないか。だけに、自然とコーチの露出度も、本人の好き嫌いは別として、選手と同様に増えることになる。
日本で言えば、この露出度が最も高いコーチが今回ご紹介する本書のお二人である。ご存じない方もいるようだが、お二人はれっきとしたご夫婦。ご主人の佐藤信夫氏は村主章枝選手のコーチとして、奥様の久美子氏は荒川静香選手のコーチとして、トリノ大会では大忙しなお二人であった。
そのお二人が自分たちのコーチ歴を語ったのが本書。お二人それぞれが、自分自身のこと、娘の佐藤有香さん(1994年世界選手権優勝者、トリノ解説者)のこと、そして村主、荒川、中野各選手のコーチングのことを読みやすい文体で語っている。とくに最後の「スペシャル対談」(第7章)は一読する価値十分にあり。読めばわかるが、このお二人、相当に「おもろい夫婦」なのである。
荒川と村主
「まず村主章枝のことは(中略)やはり難しかったのは、ジャンプ指導です。(中略)変なことすると、全部ダメにしちゃうかもしれない……。そうなるともう、口がうごかないんですよ」「僕はいつも、村主章枝に言うんですよ。『あなたの意見も聞く』と。だけど、あなたも僕の意見を聞いてくれないと困るんだよ、と」そうやって、腫れ物に触るようにはじめたコーチングだが、「あの全日本の前、2001年熊本のNHK杯で彼女はつまずいて、二つあるオリンピックの出場枠のひとつを、そこで手に入れることが出来なかったんですね」このコンディショニング調整失敗のときには「それはそれはおこりましたよ」しかし、その後村主選手はオリンピック5位、長野の世界選手権3位とつなげていく。「長野でメダルをとれたときはね、村主章枝、すごいなって。もう、尊敬しちゃった」こんな信夫コーチの率直な人柄も、選手には魅力なのであろう。
さて、一方の久美子コーチ。「まず(荒川)静香ちゃん、彼女のスケートは抜群に上手ですよ。わたしは世界一だと思っています」さすが、コーチ! この後、荒川選手は金メダルに輝くわけだが、「ただ、与える印象がまだまだ冷たい。(でも)笑えばいいというものではないんです。あの冷たさは冷たさとして、これからは、それを『凄み』に変えていくことを、私は彼女に求めたいなと思います」確かに、彼女には凛とした美しさがある。そしてトリノの大舞台では、その美しさの透明度がさらに増していた。その“凄み”に、会場全体が飲み込まれた結果が金メダルだったわけだ。
最後にお二人は自分たちのことをこんな風に語っています。(久美子)「私たちが選手を作ってきたわけでもないんです。(中略)たまたま出会いがあって、今教えているだけだと思うんです。そこは勘違いしないでやってきたつもり」。(信夫)「そこを勘違いしていたら、きっとここまで来れなかったでしょうね」本書の中では平気でお互いの性格や考え方の違いを述べるお二人。でも、ここだけはしっかり一致しておりました。やっぱり、相当に「おもろい夫婦」なのであります。
(久米 秀作)
出版元:双葉社
(掲載日:2012-10-11)
タグ:フィギュアスケート
カテゴリ 指導
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君なら翔べる! 世界を魅了するトップスケーターたちの素顔
佐藤 信夫 佐藤 久美子
本書は夫婦である佐藤信夫氏、佐藤久美子氏が著者であり、共にフィギュアスケートのオリンピック選手であった。
フィギュアスケートをテレビで見ていると、とても華麗な競技であるとイメージする方も多いはず。しかし、実際の練習や私生活は、とても過酷なものであった。練習場所の確保、多忙な毎日、さまざまなプレッシャー。決して良いとはいえない環境の中で、すばらしい結果を残してきたトップスケーターの素顔とその選手と共に頑張ってきた佐藤夫婦の気持ちが書かれている。
現在では、フィギュアスケートの大会が開催されるとなれば、日本中がざわめくほど注目されているスポーツになっている。しかし、トップスケーターたちは努力と苦悩の日々を重ねて、あの輝かしいリンクに立っている。歴代のトップスケーターと言われてきた選手たちの言葉、さまざまな壁を乗り越えてきた日々の舞台裏を本書でぜひ知っていただきたい。
(清水 歩)
出版元:双葉社
(掲載日:2012-10-14)
タグ:フィギュアスケート
カテゴリ 指導
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君なら翔べる! 世界を魅了するトップスケーターたちの素顔
佐藤 信夫 佐藤 久美子
おもろい夫婦
トリノオリンピックでの荒川静香選手の金メダル獲得の余韻が覚めやらぬ 3 月下旬、今度はカルガリーでフィギュアスケート世界選手権が行われた。この大会にはトリノ大会 4 位の村主章枝ほか、中野友加里、恩田美栄の三選手が出場。いずれも世界トップ水準の選手たちだけに、大会期間中は多くのファンが再び“金”メダル獲得への期待を膨らませた。
ところで、フィギュアという種目はテレビで見ていると(評者はテレビでしか見たことがない)、画面には演技直前リンク上で選手がコーチとなにやら会話を交わしている姿が先ず映る。そして、演技が終了すると選手は審判団の採点結果を待つ席に移動するが、そこにもコーチがしっかり横に座っている。これほど、コーチが選手に密着するスポーツは他にないのではないか。だけに、自然とコーチの露出度も、本人の好き嫌いは別として、選手と同様に増えることになる。
日本で言えば、この露出度が最も高いコーチが今回ご紹介する本書のお二人である。ご存じない方もいるようだが、お二人はれっきとしたご夫婦。ご主人の佐藤信夫氏は村主章枝選手のコーチとして、奥様の久美子氏は荒川静香選手のコーチとして、トリノ大会では大忙しなお二人であった。
そのお二人が自分たちのコーチ歴を語ったのが本書。お二人それぞれが、自分自身のこと、娘の佐藤有香さん(1994年世界選手権優勝者、トリノ解説者)のこと、そして村主、荒川、中野各選手のコーチングのことを読みやすい文体で語っている。とくに最後の「スペシャル対談」(第 7 章)は一読する価値十分にあり。読めばわかるが、このお二人、相当に「おもろい夫婦」なのである。
荒川と村主
「まず村主章枝のことは(中略)やはり難しかったのは、ジャンプ指導です。(中略)変なことすると、全部ダメにしちゃうかもしれない......。そうなるともう、口がうごかないんですよ」「僕はいつも、村主章枝に言うんですよ。『あなたの意見も聞く』と。だけど、あなたも僕の意見を聞いてくれないと困るんだよ、と」そうやって、腫れ物に触るようにはじめたコーチングだが、「あの全日本の前、2001年熊本のNHK杯で彼女はつまずいて、二つあるオリンピックの出場枠のひとつを、そこで手に入れることが出来なかったんですね」このコンディショニング調整失敗のときには「それはそれはおこりましたよ」しかし、その後村主選手はオリンピック 5 位、長野の世界選手権 3 位とつなげていく。「長野でメダルをとれたときはね、村主章枝、すごいなって。もう、尊敬しちゃった」こんな信夫コーチの率直な人柄も、選手には魅力なのであろう。
さて、一方の久美子コーチ。「まず(荒川)静香ちゃん、彼女のスケートは抜群に上手ですよ。わたしは世界一だと思っています」さすが、コーチ! この後、荒川選手は金メダルに輝くわけだが、「ただ、与える印象がまだまだ冷たい。(でも)笑えばいいというものではないんです。あの冷たさは冷たさとして、これからは、それを『凄み』に変えていくことを、私は彼女に求めたいなと思います」確かに、彼女には凛とした美しさがある。そしてトリノの大舞台では、その美しさの透明度がさらに増していた。その“凄み”に、会場全体が飲み込まれた結果が金メダルだったわけだ。
最後にお二人は自分たちのことをこんな風に語っています。(久美子)「私たちが選手を作ってきたわけでもないんです。(中略)たまたま出会いがあって、今教えているだけだと思うんです。そこは勘違いしないでやってきたつもり」。(信夫)「そこを勘違いしていたら、きっとここまで来れなかったでしょうね」本書の中では平気でお互いの性格や考え方の違いを述べるお二人。でも、ここだけはしっかり一致しておりました。やっぱり、相当に「おもろい夫婦」なのであります。
(久米 秀作)
出版元:双葉社
(掲載日:2006-05-10)
タグ:コーチング フィギュアスケート
カテゴリ 指導
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日本バッティングセンター考
カルロス 矢吹
題材にもいろいろな切り口があるもんだと思いました。私のような昭和の人間にとって、バッティングセンターは身近な存在。どことなく牧歌的な雰囲気だろうと読み始めて最初に登場するのは、東日本大震災で被災した方のストーリー。予想に反してヘヴィーな出だしに心が引き締まります。そう、客の立場だった私には昔懐かしいレジャーにしかすぎませんが、事業を立ち上げ営業される方にとっては一世一代のビジネスだということに気づかされました。日本中、北から南まで多くのバッティングセンターを取材されて成り立ちや時代時代の運営を中心に物語は進みます。どちらかといえばバッティングセンターを舞台とした人間のドラマといった方が的確かもしれません。
時代は昭和の中頃、終戦から少し時間がたって落ち着くと、国民はレジャーや娯楽を楽しむ余裕を持つようになりました。そんなとき長嶋茂雄が巨人軍に入団し9連覇を成し遂げ野球が盛んになります。横綱大鵬や力道山などが国民のヒーローとなったのは敗戦が影を落とした国民の心のよりどころだったからかもしれません。彼らの強さに憧れたのも自然な流れだったのでしょう。観戦するだけではなく自分たちもプレイすることで野球熱は次第に高まりました。何といっても打撃は野球の華。本来なら球場に行って選手が集まって用具があって初めてバッティングができますが、バッティングセンターに行けば気軽に楽しめる。楽しめたかどうかは腕次第ではありますが、お小遣い程度のお金で体験できるバッティングセンターが流行らないわけがありません。
日本最初のピッチングマシーンが紹介されていて、カタパルト式のマシーンは中日ドラゴンズが使っていたそうです。話はそれますが「巨人の星」で大リーグボール1号を破るためドラゴンズのアームストロング・オズマがそのマシーンで特訓をしていたのを思い出しました。
バッティングセンターの歴史だけだったらたぶんのめり込まなかったはずです。そこに人間のドラマが綾なす物語として進行します。バッティングセンターで練習した野球少年がプロ入りしたとかいうエピソードは野球少年の心をくすぐります。今風にいえば「聖地」ってところでしょうか。イチローが練習したバッティングセンターなんて、私でも行ってみたいです。
昭和で大ブームになった球技といえばボウリング。70年代初期はディズニーランドの人気アトラクション並みの待ち時間だったといえばご理解いただけるでしょうか。そんなボウリング場もオイルショック後に激減し、バッティングセンターに変わっていったそうです。かつてよく行っていたバッティングセンターもホームセンターになっています。全国で軒数が減ったのは人気スポーツの多様化ゆえ。それでも地元には一軒だけバッティングセンターが残っています。十数年前に息子を連れていって以来ご無沙汰ですが、十年後くらいには孫を連れていくことにしましょう。本書を読んでみて、ふとそう思いました。
(辻田 浩志)
出版元:双葉社
(掲載日:2023-07-26)
タグ:バッティングセンター
カテゴリ その他
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