世界をさわる 新たな身体知の探究
広瀬 浩二郎
皆と同じことで勝てるか
科学的トレーニングの目的の1つに“効率がよい”ということがある。一言で(誤解を恐れずに)言うならば“近道を探す”ということである。しかしながら、近道ばかりで成功する者がいた試しはなく、逆に、遠回りのように見える地道な基礎練習が実は効率的だったり、遠回りをしたからこそ今の成功が…、ということはよく聞く話である。
また、トレーニングが科学的であるためには実証的な数値や理論に基づいていることが求められる。そして、それが多くの人に当てはまり、誰にでも理解できる“言葉”でつづられていることが重要である。しかしながら、どの教科書を見ても書いてないとか、教科書に書いてあることが現場で直接応用できた試しなどないとか、カリスマが出てきて“ブワーッとやれ”と言われたらみんな納得したとか、という話もよく聞く(ような気がする)。
そもそも、皆と同じこと(教科書に書いてあること)をしていて未踏の境地へ達することなどできるはずないし、加えてこういう人はまた“○○ならでは”、“○○だからこそできること”という考え方(この“○○”には“天才”とか“最新機器”などといった有利な言葉だけでなく“地理的に不便(イナカ)”とか“胴長短足”といった、どちらかと言えばハンディキャップとしてとらえられる事柄も含む)ができる人なのである。
このような、科学的理論(一般性)と現実的課題(個別性)に加え、競技力の向上ばかりでなく“人としての成長”などといったさまざまな価値観も現場には導入されてくるから話はややこしくなる。そしてまた、このようなジレンマがあるからこそ現場は面白いのだ(と思いたい)。
「触常者」という、とらえ方
さて今回は『世界をさわる 新たな身体知の探究』である。
編著者の広瀬浩二郎は、国立民族博物館の准教授(日本宗教史・触文化論)で、「視覚に頼らない知的探求の手法として『さわる文化』の可能性を追求、提唱」し、「ユニバーサル・ミュージアム」構想の実現を試みている人である。
一般に博物館とは、「なかなか行くことができない海外の珍しい事物、先人の業績、あるいは肉眼ではとらえられない体内や宇宙の様子などを『目に見える形』で紹介する」ことが主な目的であるのに対し、「ユニバーサル・ミュージアム」とは「ユニバーサルデザイン」の「誰もが楽しめる博物館という意味」である。ひとつの特徴として「さわる」展示を行い、「聴覚と触覚の復興をめざして」いる。「視覚優位の現代社会にあって、あえて“さわる”にこだわることによって」「世の中には『さわらなければわからないこと』『さわると、より深く理解できること』がたくさんある」ことを理解することに眼目が置かれているのだ。
広瀬は「視覚障害者」を「『視覚を使えない』弱者」とはとらえず、「『視覚を使わない』ユニークなライフスタイル」を持つ者「触常者」としてとらえている。対して、視覚を持つ者のことを「見常者」と呼んでいる。言い得て妙。冒頭で、「時に触覚は言語を超えたコミュニケーションのツールとなる」と表現されていることには深く共感した。しかもそれを表現するには“言葉”で言い表すよりほかないという、相反する作業を同時にこなす知力には脱帽した。
本書の中で「さわって楽しむ宇宙の不思議」を担当した嶺重慎(天文学)の言葉が印象深い。「今、『業績』とか『効率』とかいうことばが、社会にあふれています。そこでは『数』がものをいいます。しかし、『数』にとらわれると、目の前にいる『一人の人』が見えなくなります。目の前の人が見えないと、自分も、見失ってしまいます。私たちの行っている活動は、今の社会の価値観に逆行しているようですが、一人ひとりの魂と向き合い、大切にし、ともに感じる感性を育む活動は、時間がかかっても、確実に世に広がっていくものと思います」。
この言葉は“体育”の現場でもそのままあてはまるものとして、常に念頭に置いて一人ひとりの学生と向き合っていきたいと思う。
(板井 美浩)
出版元:文理閣
(掲載日:2015-02-10)
タグ:コミュニケーション
カテゴリ 身体
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