競技スポーツにおけるコーチング・トレーニングの将来展望 実践と研究の場における知と技の好循環を求めて
高松 薫 麻場 一徳 會田 宏 鈴木 康弘 寺本 祐治
現場/実践/技と研究/理論/知の好循環は、競技者・指導者としても、研究者としても実現したいところだ。本書はその橋渡しを目指し、編集委員代表の高松薫氏のゼミ出身者を中心に現場や研究で活躍する方々が筆を取った。とくに競技スポーツにおいては、「東京オリンピックに向けて」という大義がなくなった後のことも考えていかねばならないと説く。競技力向上のために各種目でどのような取り組みが行われているかを始め、組織の不祥事などスポーツ界を横断するトピックにも触れ、さらなる発展に向けた議論を促す。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:筑波大学出版会
(掲載日:2021-08-10)
タグ:コーチング 研究
カテゴリ 指導
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気概と行動の教育者 嘉納治五郎
嘉納治五郎生誕150周年記念出版委員会
小学生向けの講義
私が住む街の主催事業で“子ども科学講座”というのがあって、“人間を科学する”という今年度のテーマのもと“カラダの動く仕組みを知ると駆け足が速くなる!”と題して1コマ持たされ、小学生を相手に講義と実技をセットでやってきた。
その中で、“重いオンブ・軽いオンブ”というのをやったら大いにウケた。“寝た子は重い”の原理で、“重いオンブ”は上になった人が脱力するのである。その際、グターッと落ちそうになったりするとさらに重くなって好ましい。“軽いオンブ”は逆に力を入れてごらんと言うだけ。上の人は適度に緊張し、腋と内股を締め、背負う人を押さえるようにすればよい。
交代交代でやって、ひとしきり盛り上がった後、同じ人でもオンブの仕方でその重さが全然違って感じられること、同じもの(人)でも見方を変えると別の側面が見えて面白いねと説明すると一同目を輝かせて頷いてくれ、日頃相手にしている大学生の授業よりむしろ緊張して臨んだ講師としては大いに溜飲を下げたものだ。もっとも、ウチの次男坊(幼稚園生だが特別に参加させてもらっていた)にも覚えられ、“軽いオンブ”作戦を使っては外出のたびオンブをせがまれるのには閉口したけれど。
大学生に同じ課題をやらせると、お! 何をやるんだとばかりに興味津々で試してくれるのが三分の一、戸惑いながらもやってみる者が三分の一、残りは恥ずかしいのかバカバカしいのか面倒くさいのか、突っ立ったまま何もしないでいる。
しかし中には“軽いオンブ”でうまく息を合わせ、体重差50kgもありそうな体格の相棒を軽々とオンブして歩き回っている者もある。何とかして皆の注目をそこに集め、体重は、ちょっとしたオンブの仕方の違いで重くも軽くも大いに異なって自覚されること、オンブごっこをやった意義は、体重(測定された値=科学的数値)は1つだが、見方によって全く異なった印象で認識されるということを身をもってわかってほしかったからであると、種明かしまでしてやっと納得してくれるのである。というか、それをもっと早く言えよ的態度をとられることもあり、大人になると感性が鈍るなあ、でもちゃんとわかるような授業ができない私が悪いんだよなあ反省しましょうそうしましょうと、ついつい晩酌の量が増えるのである。
数値では把握できない大きさ
さて、本書『嘉納治五郎』だ。その名を知らない体育関係者は少なかろうと思う。講道館“柔道”の創始者であり、日本人(アジア人)初のIOC委員として第12回オリンピック東京大会(1940年開催と決定するも日中戦争の影響で返上)の招致を成功させた、体育・スポーツ・教育界の巨人である。
ところが嘉納は、そもそも学問のほうが得意で運動はむしろ苦手だったらしい。嘉納が柔道(柔術)に興味を抱いたのは12歳の頃で、「幼少の頃に虚弱な身体であったので強くなりたくて柔術を学ぼうと決心した」ようである。
しかも勝ちさえすればよいというのではなく、後に柔術からの学びを「柔道」に発展させたとき「柔道は心身の力を最も有効に使用する道である」「身体精神を鍛錬修養し」「己を完成し世を補益するが柔道修行の究極の目的である」と説いているところが凄い。
一方で、「柔道は国際化していくなかで、カラー柔道着に象徴されるように、本来の柔道の考えが薄れつつあるといわれてきた」が、「嘉納が創始した講道館柔道の技と精神の原点は何であったかということを求める傾向」が強まってきており、「原点である嘉納治五郎の柔道思想に回帰しようという動きも出てきている」ようである。
嘉納は「成人時でも一五八センチ、五八キロ」だったというから、当時の日本人としても決して大きいほうではない。しかも晩年「彼はわずか一○五ポンド(四七.二五キロ)に過ぎなかったが」「ニューヨークを訪問した折に」「二○○ポンド(九○キロ)のリポーターを床に投げた」のだという。
生誕150周年を迎え、嘉納治五郎という人間が、数値を超えた巨人として蘇ってくるのである。
(板井 美浩)
出版元:筑波大学出版会
(掲載日:2011-12-10)
タグ:教育
カテゴリ その他
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