スラムダンク勝利学
辻 秀一
本書はいくつか出ている勝利学シリーズの中の一冊であり、バスケットボール漫画のスラムダンクの名シーンや選手の心情などにフォーカスし、スポーツ心理学に関連づけている。一章ごとの区切りが非常に簡潔であり、テーマが明確である。通常のスポーツ心理学だと少し難しいと感じてしまうところも漫画のワンカットを入れることにより、シチュエーションを理解しやすく非常にわかりやすい。なので年代を問わず誰もが楽しく読むことができるであろう。実際のスポーツシーンでもありがちなことが題材になっているので、ふと練習をしているときに思い出せるのもよい。
だが、本書はスラムダンクのあらすじなど読者が知っている前提で進められる。もちろん読まなくともわかるのだが、スラムダンクを読んでいたほうがキャラクターに自身を投影しやすく理解がしやすいであろう。
こういった漫画をベースにした勝利学シリーズはその漫画が好きな人にはもちろんのこと、スポーツ選手(とくに小中高生)にはスポーツ心理学の入り口としても入りやすく、非常に楽しめる内容となっている。
(三嶽 大輔)
出版元:集英社インターナショナル
(掲載日:2013-01-18)
タグ:心理 チーム
カテゴリ メンタル
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ウサイン・ボルト自伝
ウサイン・ボルト 生島 淳
よい本とは
私は最近、本の良し悪しについて感じたことがある。わかりやすいことや、共感できることが書いてある本は、実は意味がないのではないか。自分が漠然と思っていたことが言葉になっていて、「そうそう、それが言いたかった」というのは確かにうれしい。しかし、自分の理解が及ばないことや思いつきもしなかったことが書いてある本を読んだ方が、たとえそれを理解できなくても、自分の肥やしになり世界が広がるきっかけになるかもしれない。だから、共感できない・理解できない本をよい本というべきなのではないか。
本書は、盛りに盛った自慢話である。それに、ずいぶんとあけすけだ。こう感じるのは、私が謙虚さと節度を美徳とする平凡な日本人だからかもしれない(ジャマイカでは普通のことなのだろうか?)。しかし、それでいて嫌味がなく、読後感は不思議と爽やかである。
印象に残るシーン
ボルトといえば、非常に印象に残っているシーンがある。
何の大会のテレビ中継だったか忘れてしまったが、とにかくオリンピックか世界陸上の4×100mリレーの決勝。
レースのスタート直前、第3コーナー上で待機している3走のボルトの様子がアップで写っている。「On your marks」のコール後に観客に静かにするよう促す「シィーッ」という効果音(?)が会場のスピーカーから流れる。ボルトは微笑みを浮かべながら、それに合わせて人差し指を唇に当て、次いで両掌を下に向け軽く上下させ「静かに静かに」というジェスチャーをしていた。
決してふざけているわけではない。リラックスというよりも、本当に無邪気に決勝レースを楽しんでいるように見えた。そのおどけた姿を見て、私は、この人には誰も敵わない、と思った。
強さの秘密
どうやらボルトの強さの秘密は強烈な闘争心と自負心にあるらしい。
まず闘争心。強敵や敗北がボルトの心に火をつけ、大きなレースになればなるほど燃える。
私も一応陸上競技者であったのだが、ボルトのように「相手をやっつけてやる」という気持ちでレースに臨んだことは一度もなかった。むしろ逆に、他の選手のことは意識せずに自分の最高の走りをして自己ベストを狙うことだけに集中していた。
勝ちたい気持ちは当然あるのだが、よい記録を出せば順位は後からついてくると考えるようにしていた。他の選手のことを気にすると集中できなくなってしまうのだ。これは私の取り組みの甘さと気持ちの弱さの表れなのだろう。
が、ボルトは違う。「タイムを狙うことは考えない」「最強の選手に勝たなければ面白くない」「記録はトッピング、金メダルはケーキそのもの」というように、勝つことを最大の目標としている。「おいブレーク、こんなことは2度と起きないからな」2012年のジャマイカ選手権で、チームメイトで後輩のヨハン・ブレークに優勝をさらわれたときに、ボルトがブレーク本人に宣戦布告した言葉だ。
なんという負けず嫌いなのだろう。
そして自負心。2009年の自動車事故で九死に一生を得たボルトが感じたのは、神からのメッセージだった。「俺が生き残ったのは、地球上で最速の男として選ばれたというお告げであり、事故は上界からのメッセージだと受け取った。勝手な考えかもしれないが、神は最速の男の座に就くのは俺だと考えているようだ」
また、別のページではこんなことも書いている。ドーピング問題に対しての考えだ。「だいたいドーピングというのは、競争できるだけの身体的能力を欠いている連中がするもので、俺はそんな問題は抱えていなかった」
普通、こんなこと言えない(これもジャマイカでは普通?)。
世界が広がる本
自分の才能と努力に絶対の自信を持ち、最高の舞台での強敵との勝負を楽しんでいるからこそ、レース前のおどけたしぐささえも観客には愛嬌と映るのだろうか。 次元が違いすぎて共感できることはほとんどないが、トップアスリートの精神状態に触れることができて、世界が広がる本だと思う。ただ、もし日本人がボルトの流儀を真似をしたら総スカンを喰うことは間違いないだろうが…。
(尾原 陽介)
出版元:集英社インターナショナル
(掲載日:2016-04-10)
タグ:陸上競技 自伝
カテゴリ 人生
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争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール
木村 元彦
大きな相手に真っ向から
かの坂本竜馬は、紀州藩船と衝突して自船を沈没させられた際、たかが脱藩浪人とたかをくくった天下の御三家を相手に、泣き寝入りをしなかった。万国公法を掲げ、大藩といえども法を超えて横車押すこと罷りならんと戦った、とされている。ここで立ち上がらねば日本の海は無法の海と化す、と考えたかどうかはわからない。金になる、と踏んだのかもしれない。流行歌を利用し、世論を味方につけたとも言われている。どことなく山師の匂いが漂うのがご愛嬌だが、大きな相手に真っ向から挑む姿は魅力的である。
さて、本書はサブタイトルに「ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール」と掲げる通り、現在はFC琉球でプレーを続ける我那覇選手をめぐる一連の騒動を描いたノンフィクションである。金のためでもなく、名誉のためでもなく、当事者のためだけでもなく、サッカー界ひいてはスポーツ界のために真実を明らかにせんと動いた人々の物語である。
我那覇選手に罪を着せたのは、CAS(国際スポーツ仲裁機関)の裁定が出された後でさえ自らの誤りを完全には認めなかったJリーグである。いや、その一部の幹部、あるいはそのシステムと言っていい。
ドクターたちの行動
ことの発端は、真っ当な治療行為を受けた我那覇選手の発言に関するスポーツ紙の報道である。冒頭でその状況が描写された後、当事者である我那覇選手の登場は物語中盤まで待つことになる。再登場以降の彼自身の勇気ある思考、そして行動は既知の方も多いだろうし、本書を読んで震えてもらうことにする。ここで取り上げたいのは前半に描かれるドクターたちの物語である。 自分の進退を握る大きな組織を目の前にしたとき、多くの人は「間違いかもしれないが従っておくのが身のため」というあきらめの論理で済まそうとする。しかし、そのまま捨て置けば重大な禍根を遺すと義憤にかられた当事者の1人である後藤秀隆ドクター、そしてその真意を知るJリーグのドクター諸氏は行動を起こした。ここで立ち上がらねば世のためにならぬと、サッカー界の巨大組織に敢然と立ち向かったのだ。とくにサンフレッチェ広島の寛田司ドクター、浦和レッズの仁賀定雄ドクター、この両氏の行動は昨今の社会においては奇跡だとすら感じる。
トップチームではチームドクターが存在することが今や当たり前になっているが、これがどれだけありがたいことか。現場で仕事をしていれば、多くのドクターが、その競技そしてそれに全身全霊で取り組む選手に対する愛情を原動力にしていることがよくわかる。だから「選手はチームの宝」「プレイヤーズファースト」という当たり前の概念を決して忘れないし、スポーツ競技の中央団体が主人公である個々の選手を守るために機能していないと感じれば、それを見過ごすわけにはいかなかったのだ。このサッカー界そしてスポーツ界に対する確固たる責任感が我那覇選手の背中を押すことにもなった。
ルールは何のために
また本書では我那覇選手がJリーグドーピングコントロール(DC)委員会によって意図的にクロにされた疑念がぬぐえない旨が書かれている。本書だけで判断するわけにもいかないが、私的には「いやあ、マスコミが騒いじゃったからさ~」というDC委員長の言葉に集約されているように、ことの本質や真実ではなく、世間で独り歩きを始めた情報に過敏になるあまり、権威ある存在としての自らの虚栄を守るために全てをこじつけたように思えて仕方がない。
権力を得れば人は変わりやすいのか、あるいはそのような人が権力を握りやすい構造になっているのか。いずれにせよ、権力を持つことを目的とした人が権力を持ったときに起こる悲喜劇は枚挙にいとまがない。周りの人が信頼するに足るかどうかには敏感なくせに、自分が信頼されるということに鈍感で、自らが振るう鉈の大きさを誇示して恐れ入らせることに長けている人が多いと感じるのは、立身出世に縁がない平民の妬みだろうか。そういった人は媚びへつらう連中ばかり周りに従えることになり、鉈が大きくなればなるほど重くなるのは、そこに加わる責任が大きくなるからだということを忘れてしまう。フェアプレーを矜持とする選手たちを裁く立場の人間が、どれほどの重責を持たなければならないのか。この点、サッカー界は自浄作用が働いた。残念ながら協会内部から起こったものではないが、選手会やサポーターを中心に感動的な動きが起こった。Jリーグのルールも、アンチドーピング協会のルールも、スポーツそのものを、フェアプレーに心身を捧げる選手を、裁くためでなく守るためにあるはずなのだ。
厳しい生存競争の中で生き抜こうとする選手たちは無理を承知で踏ん張らなければならないことが多い。単純には語れないが、選手本人、ドクター、トレーナー、そして監督やコーチがうまくコミュニケーションを取り、治療をしながら出場するようなリスクをどう減らすのか、これに関しても議論を続けなくてはならない。冤罪以上に悲しい結果を避けるためにも。
(山根 太治)
出版元:集英社インターナショナル
(掲載日:2012-03-10)
タグ:サッカー
カテゴリ スポーツライティング
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スラムダンク勝利学
辻 秀一
中・高校生のバスケットボール人気に火をつけたと言われる漫画『スラムダンク』の中に、スポーツのみならず人生に勝利するヒントがあると述べる辻氏。「根性は正しく使う」「今に生きる」「あきらめは最大の敵である」「波を感じる」など、何にでも応用のきくテーマを、スポーツを題材にやさしく説いた。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:集英社インターナショナル
(掲載日:2000-12-10)
タグ:人生
カテゴリ 人生
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痛快! みんなのスポーツ学
辻 秀一
押し絵に『じゃりン子チエ』を起用し、スポーツと健康が楽しく読めるよう工夫されている。筆者は冒頭で、「スポーツは医療であり、教育であり、芸術であり、コミュニケーションであり、困難な時代を生きる我々の救世主となる可能性がある」と述べている。そういう“スポーツ学”が根底に流れる本。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:集英社インターナショナル
(掲載日:2002-02-10)
タグ:スポーツ学
カテゴリ スポーツ医科学
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ホイッスル! 勝利学
布施 努
スポーツの現場において、「本気の火を心に灯す」ということを仕事として、選手たちと日々向き合っている著者。アメリカ留学の際に手元にあったサッカー少年のマンガ『ホイッスル!』の場面を引用しながら、目標を定め、それをクリアしていくための具体的な方法、チームを形づくるためのぶつかり合いの過程、本気でなければ楽しめないスポーツの厳しさなどが丁寧に説明されている。
選手であれ、スタッフであれ、レギュラーや補欠など、立場を問わず、チームとして一丸となってパフォーマンスを発揮するために何をすべきなのか。今、この瞬間にできることを成し遂げるという力の尽くし方を教えてくれる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:集英社インターナショナル
(掲載日:2009-10-10)
タグ:指導 メンタル チームビルディング
カテゴリ メンタル
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