ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
コーチングの科学
福永 哲夫 湯浅 景元
どんなことでも人に何かを教えるのは難しいものである。昔から「教えることは学ぶこと」といわれるように、人に物事を教えていく過程で、教える人は逆に学ぶことが多い。学ばないと教えられないということもある。
スポーツの世界では、教える人のことをコーチと読んだり、スクールではインストラクターと呼んだりしている。いずれにせよ、特にスポーツの技術指導はコーチングと呼ばれ、経験したことのある人ならよく分かるだろうが、簡単に教えた通りの動きをしてくれるものではない。逆に、教えた通り、あるいはそれ以上にできたとき、コーチの喜びはひとしおである。どうすれば、こちらの愛していることが伝わるか、またそれを選手や生徒が進んでやるようになるか、コーチやインストラクターは日々心を砕いていることだろう。最も大切なことは、本にもなかなか書いていないし、言葉で表すのは難しいことも多い。「こうだ」とお手本を示しても、選手や生徒にとっては「それができないんじゃないか」と不満が出ることもある。元読売巨人軍の長嶋氏はバッティングについて「バッと来たら、ビュッと振って、ガツンだ」と説明したそうだが、これだけを聞いて“ガツン”と打てる人はいないであろう(少なくとも、打つ心意気、心構えはなんとなく分かるが)。
さて、本書、その難しいコーチングを科学的に捉えようというものである。
「スポーツのコーチングにおいては、プレーヤーの動きや身体的調子に関する“感じ”を客観的“事実”として理解することが必要である。さらに、現在までに明らかにされてきている体力トレーニングに関する科学的原理をもとに、スポーツ種目特性や個人の能力に応じた種目別個人別トレーニング方法を作成し実行するための努力がなされなければならない」(序より)
実に淡々と書かれてはいるが、このこと自体大変な作業である。
「本書は、スポーツを実施したり、指導したりするときに生じるこれらの問題の解決にスポーツ科学がどのように接近できるかといった観点から、われわれの研究グループによって得られた成果を中心に、スポーツやトレーニングのコーチングに関する科学的基礎についてまとめたものである」(同上)
興味深い具体例を本書から紹介しよう。
「スポーツにおける“感じ”と“事実”」という点について、「プレーを実施しているときの身体の動きや生理的反応は、プレーヤー自身にとっては主観的な“感じ”をたよりに教科書や映画などで得た客観的な知識に照らし合せながら組み立てていく。このとき、映画分析などで得られた事実と、プレーヤの感じる主観的“感覚”とがずれている場合が多い」(P2)とし、その例として、卓球でのドライブ打法を挙げている。これはラケットを下から上に振り上げて、ボールに順回転をかける打法だが、プレーヤーは膝を深く曲げて、重心を低くしてから、伸び上がるようにしてラケットを振り上げる。このときのプレーヤーの“感じ”では、からだの重心がかなり上方に移動したところでラケットがボールに接触する。横から見ている人の“感じ”もそうだという。ところが、科学的に調べてみると、実際には、ボールのインパクトはからだの重心が最も下に下がった直後にみられ、“感じ”よりも時間的に早い時点で打っているのである。
こういった指摘がプレーヤーにどう影響を与えるか分からないが、人によっては“ハッと”と思わせられるところがあり、問題が途端に氷解するかもしれない。
主な内容は「主な目次」の欄に示した通りだが、コーチにとっても選手にとっても興味深いところが多いのではないだろうか。「コーチングの科学」とはいえ、選手のすべてがコーチの指導のもとにトレーニングや練習を積んでいるわけではなく、コーチなきチーム、選手、コーチング自体も自らに要求しなければならない。その際にも、こういった書のもたらすところは大であろう。
本書はあくまで「科学」を取り扱ったものであるから、一般書を読むように楽に読み進めるものではないが、ある程度基礎的知識を持っていれば、現場での指導に役立てられるところは多い。
特に、「7. コーチングへの科学的接近」では「特別な器具はなくても科学的分析・指導はできる」の項で、簡単に筋の太さを計る方法、簡単に全身の脂肪量を計る方法、最大酸素摂取量を簡便に知る方法、ストップウォッチでの無酸素的・有酸素的能力の測り方、走スピードから推進力を求める、垂直跳から脚パワーを測る、持ち上げ回数から最大筋力を推定する、“主観的な感じ”から運動強度を知る方法、走・歩行時に消費するカロリーなどが示されているほか、「コーチングの科学の具体例」として、ボート競技──東京大学ボート部の場合、スピードスケート──全日本候補選手の夏季トレーニングについて、野球──東京大学野球部の場合、競泳──高橋繁浩の場合、陸上競技──室伏重信選手の場合などが挙げられていて、とても参考になる。
競技スポーツ、特に国際的レベルではスポーツ医・科学の導入は今や常識となっている。ソ連は、東欧は、中国は、韓国は、というようにマスコミでも賑々しく報じられることは珍しくない。この点で日本は立ち遅れているといわれ、それも事実であろうが、実際にはスポーツのそれぞれの現場で積極的に科学的アプローチがなされてきている。まだ一般的ではないにしても、我が国のレベル自体は決して低くないはずである。本書のような書物が指導者によって広く読まれ、現場での試行錯誤を経ることで、さらに裾野が広がり、全体のレベルが向上していくことが期待される。エレクトロニクス技術で世界トップ・クラスの日本におけるスポーツが、いつまでもあまりに経験主義的だったり、“非科学的”であるのは、どう考えてもヘンなことなのである。
主な目次
1. コーチング科学のなりたち
2. スポーツ成績を生み出す技術
3. スポーツ記録の向上をめざして
4. 競技力に及ぼす諸要因
5. 女子のスポーツ適性
6. オリンピック選手にみる体力の競技種目特性
7. コーチングへの科学的接近
8. 健康・体力つくりをめざして
9. 子どもとスポーツ
10. コンディショニング
(清家 輝文)
カテゴリ:スポーツ医科学
タグ:コーチング
出版元:朝倉書店
掲載日:1986-08-10