ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
頭で走る盗塁論 駆け引きという名の心理戦
赤星 憲広
いつもの風景から何を得るか
毎日通る通勤路でふと立ち止まって、そのいつもの風景を少し注意深く眺めてみる。いつものように木が2本そびえ立ち、田んぼが広がり、変わらぬ家々の佇まいがある。ところが、もう少し目を凝らすとただのあぜ道に草が生い茂り、小さな花が芽吹いていることに気づく。見過ごしがちなそんな些細な光景が、今の季節そのものを、そしてあんなに肌寒かった季節からの移ろいを感じるきっかけになり、心にほのかな彩りを加えてくれる。
そう思えば、日々の雲の様子にも心が動くようになるだろう。ただのいつもの景色ではなくなるだろう。インフォメーションとインテリジェンスの違いといった使い古された表現を借りなくとも、同じ風景から得られることは人によってさまざまであり、その得られた内容をどのように活かすかも人それぞれである。
定点カメラで撮った映像を早送りで見るなどすれば気づくことも多くなるかもしれない。しかしたとえそのような道具があったとしても、そこに価値を見い出す、あるいはそこから価値を生み出すには、基礎となるさまざまな知識や豊かな感性が必要であり、そのための自然な心構えといったものが身についていなくてはならない。
価値を見出す選手
野球選手がヒットやフォアボールで一塁ベース上に立った場合、その視界には相手チームのピッチャーを初めとする守備陣が写る。また味方の次打者をバッターボックスに認めるだろう。ベンチや一塁コーチとのコミュニケーションがあるにせよ、その光景をただ平板なインフォメーションとして捉えているだけでは、誰がそこを埋めていようが大して変化がないものとなる。しかし見る人によっては、その中に多大な価値を見出すことができる。そしてそこから手に入れたインテリジェンスには、野球のプレー全体に大いなる利益をもたらすものとなる。27.43m先にある次のベースを自らの足で陥れるために、得るべきものをすべて得ようとし、それを基軸にプロ野球選手としての自分の存在価値を高めようとした貪欲な選手、赤星憲広氏が本書の著者である。
盗塁をするには、ヒットを打つにせよ四死球になるにせよ塁に出なくてはならない。そこから打率が上がらなければ盗塁数も増えないだろうと単純に考えてしまいがちだ。しかし赤星氏によると二塁を陥れるためのインテリジェンスは打撃へも好影響を与え、「盗塁が多いから、ヒットも多くなる」という一見逆説的な結果が導かれる。
すべてのプレーが変わる
これは守備に関しても同様で、「野球全ての視野を広げてくれる」インテリジェンスになるのだと言う。「60個盗塁できれば三割打てる理由」があるのだ。各投手の自分でも気づいていないようなクセを研究し、把握することはもとより、配球の特徴、捕手の考え方や動きの特徴、2塁ベースカバーの状態、サーフェスの条件、二番打者との呼吸など、果ては目の錯覚までも利用して、できうる限りの準備を整える。そうすれば「走る勇気を持つこと」ができる。そうすれば野球のすべてのプレーが変わる。
スライディングなどテクニカルな考え方も述べられてはいる。しかし「『足が速い』=『盗塁ができる』ではない」という言葉からもわかるように、「きちんと準備することで8割決まる」という考え方が重要だ。考える力がなければ気づくこともできない。気づくことができなければ準備は整わない。準備が整わなければ行動を起こす勇気は持てない。その思考こそが肝要なのだ。1塁からの風景は、彼には他の多くの選手とは違って見えていた。野球選手としての存在価値を、その風景の解析から突き詰めようとしていた。日々の暮らしの中で目にしている光景には気づいていないだけでさまざまな価値が潜んでいる。何かとことんこだわれるものを持っていることは幸せである。
ところで私の世代では、かの福本豊氏がスピードスタートという印象が強い。年間106個という驚異的な盗塁数の記録を持つこの人の足を封じるためにクイックモーションは生み出されたという。福本氏も投手のクセを見抜くことには当然ながら秀でていたとのことだが、赤星氏の守備におけるダイビングキャッチに関しては「ケガの危険性も高くなる」また「うまい外野手は飛び込まずに落下地点できっちり捕る」と公言していたそうである。
果たして、赤星氏はダイビングキャッチにからんだ頸部のケガの影響で引退に追い込まれた。また、赤星氏は愛煙家だったという。これだけの理論家が自らのコンディショニングに関してこれらをどう考えていたのか興味がある。持論もあるのだろうか。以上蛇足ではある。
(山根 太治)
カテゴリ:指導
タグ:盗塁 野球
出版元:朝日新聞出版
掲載日:2013-05-10