ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
弱くても勝てます
髙橋 秀実
何とも言えない温かさ
髙橋秀実さんは私の好きな作家である。そこらへんにいる普通の人が何気なく発した面白い一言を、実にうまく拾っていると思う。そしてそれには何とも言えない温かい眼差しが注がれているように感じる。
本書の舞台は超進学校として名高い私立開成高校の硬式野球部。開成高校にはグラウンドが1つしかなく、他の部活との兼ね合いで硬式野球部が練習に使えるのは週1回3時間程度。そんな環境でかつては東東京大会のベスト16入りを果たしたこともあるらしい。
だが、本書に開成野球部独自のメソッドが紹介されているわけでもないし、ドラマチックな盛り上がりもない。そもそも「勝てます」というタイトルの割には、最近はあまり勝てていないようなのだが、そこがまた、何とも言えない味わいになっていると思う。
本書で中心となるのは、野球部監督の青木先生である。監督の言葉が随所に紹介されているのだが、その1つひとつがとても面白い。「猛烈な守備練習の成果が生かされるような難しい打球は1つあるかないか。試合が壊れない程度に運営できる能力があればいい」「自分たちのやり方に相手を引っ張り込んでやっつける。勝つこともあれば負けることもあるけど、勝つという可能性を高める」「ギャンブルを仕掛けなければ勝つ確率は0%。しかしギャンブルを仕掛ければ、活路が見出せる。確率は1%かもしれないが、それを10%に引き上げれば大進歩」
その「やりたいこと」「ギャンブル」「活路」とは、勢いに任せて大量点をとるビッグイニングをつくり、「ドサクサに紛れて勝っちゃう」ことである。高校野球の公式戦はトーナメントなので、10回のうち1回しか勝てない確率だとしても、その1回が本番ならそれでいいのである。思わず笑ってしまったのが、守備のポジションを決める基準である。
・ピッチャー/投げ方が安定している。
・内野手/そこそこ投げ方が安定している。
・外野手/それ以外。
おそらく、これをイチロー選手が聞いたら怒るだろうなと思うのだが、その理由を読むと納得。「勝負以前に相手に失礼があってはいけない」からなのである。まともに投げられない部員もいるのが開成高校。ストライクが入らないとゲームにならないので、打たれるにせよストライクゾーンに安定的にボールを投げることが開成高校のピッチャーの務めなのだ。
「偉大なるムダ」を真剣に
何とも頼りない感じを受けるのだが、青木監督は勝ちにこだわり、何とかしようとする。勝利至上主義ゆえではない。青木監督の考え方を読んだときには、じーんと胸が熱くなった。なんと素敵な先生だろう。「野球には教育的意義はない。野球はやってもやらなくてもいいこと。はっきり言えばムダ。しかし、これだけ多くの人に支えられているのだから、ただのムダじゃなく偉大なるムダである。とかく今の学校教育はムダをさせないで、役に立つことだけをやらせようとするが、何が子供達の役に立つのか立たないのかなんてわからない。ムダだからこそ思い切り勝ち負けにこだわれる。勝ったからエラいわけじゃないし、負けたからダメなんじゃない。負けたら負けたでしょうがない。もともとムダなんだから。勝ちにこだわると下品とかいわれたりするのだろうが、ゲームだと割り切ればこだわっても罪はないと思う」
体罰やオーバーユースの問題が起こるたびに、短期間で成果を出さなければならない学校部活動ではなく、長期的視野に立ったクラブチームでの一貫指導のもとで活動するべきだという意見が出る。それはそうかもしれないが、学校部活動があるからこそ、多くの子どもたちがいろいろなスポーツに触れることができるという側面もあるのではないか。現に、この開成高校の生徒たちは、部活動だからこそ野球を楽しめているのである。おそらくこの子たちは、部活動がなければ高校まで野球を続けていなかっただろうと思う。
学校部活動はプロ養成所ではないし、そもそも全員がプロを目指しているわけでもない。どんな活動でもいいから、1人でも多くの子どもたちに「偉大なるムダ」を真剣に楽しむ機会を提供する。部活動には教育的意義がないということに教育的意義があるのかもしれない。
(尾原 陽介)
カテゴリ:指導
タグ:野球
出版元:新潮社
掲載日:2013-08-10