ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
先生!
池上 彰
「先生」になった
そもそもの動機は思い出せないが、中学生の頃に「先生」になろうと心に決めた。おそらく他の職業を知らないごく狭い視野の中での思い込みだったのだろう。担任の「先生」にその話をしたら「そんなこと無理に決まってるでしょう」と頭から否定された。その言葉は、感情の修飾が消え去った今も記憶の吹きだまりに残っている。「先生」が何を意図してそう発言したのかはわからない。私がその頃教師を連想させるような存在ではなかったのかもしれない。ただ帰宅してそのことを話す様子は激しい怒りに充ちていたと、いつか母が話してくれた。
その数年後、教育大学に進学した私は、卒業時に今度はこのまま教師になることなど考えられなくなった。いくつか理由はあるが、学校世界しか知らない狭い了見の人間がどうして子どもたちの教育などできるのかと考えていた。自分自身もそうだったし、周りを見渡してもそれに見合うヤツはいないような気がした。それでも同期の多くは「先生」になり、今では教頭や校長といった肩書きを背負うものも出てきた。そして私自身も巡り巡って今はひとりの「先生」という立場にいる。
先生を励ます本
さて、しりあがり寿氏のシニカルで理不尽な漫画で幕を開ける本書は、タレント、学校長、ジャーナリスト、映画監督、柔道家、そして町工場の社長など、教育に関わる人、関わらない人、様々な立場の方々から寄せられた「先生」に関するエッセイ集である。
発起人はニュース解説でおなじみの池上彰氏だ。必ず「先生!」という呼びかけの言葉を本文中に含めることを条件に起草を依頼したそうだ。確かに厳しい問題、悲しい問題が教育現場に山積している。しかし一部の問題が全体を否定する材料として扱われ、教育そして「先生」の再生が必要だと叫ばれる中、周囲からの高い期待に応えるべく現場で頑張る「先生」も少なくない。「そんな先生達を励ます本を世に出したい」ということが本書の狙いである。「先生」とはどんな存在であるべきなのだろう。優れた教育者を自負する人から、「学生の質は『先生』次第なんだ。学生は『先生』以上の人間にはならないのだから」と言われたことがある。個人的にはそれに大変な違和感を覚えた。「先生」の責任を果たすために自己研鑽を積むことは言わずもがな、「先生」など伸び伸び飛び越えていける人材を育成することが「先生」の喜びであると考えていたからだ。
もちろんそう易々とは越えられないチャレンジしがいのある壁として存在感がなければ面白くはない。イメージは複雑に枝を伸ばした大樹だ。懸命に登る子をみつめ、滑り落ちそうな子にはそれとなく枝で支え、要領よく登る子には、時に障壁となる枝を伸ばし、ところどころに息をつけられる空間を用意して木陰をつくる。時には枝の先でお尻をつつく。子どもたちにそして自分にも種を蒔き、さらなる枝葉を延ばすことも忘れない。上に行けば行くほど手強くなる懐深さも持っていたい。それでもこちらの意図を乗り越えてぐんぐん成長する子どもたちを育てたいし、それに感動する心を持ち続けたい。どんどん先に進む子どもたちにはいつしか自分の存在など忘れられていい。時間が経って、もしふと振り返ることがあれば、あの頃見ていた樹よりも小さく感じてもらえればいい。そしてあの出会いは悪くなかったと懐かしさを憶えてもらえれば言うことはない。これは「親」としての想いそのものだ。
誰もが「先生」に
本書の内容は、基本的に初等~中等教育における「先生」が対象になっている。しかし、「親」が一番身近で重要な「先生」であることはいつの時代でも真実だろう。そのことを抜きにして教育は語れないはずだ。そして我が子のみならず、子どもに関わる大人はみな子どもたちに何かを伝える「先生」たり得るという自覚を持っているべきだ。立派なことばかりでもないだろう、汚れたり、臍を噛んで苦しみ抜くこともあるだろう。そんなことも全部ひっくるめて、子どもたちを見守り、導き、あるいは言葉はなくとも背中を見せられる、そんな存在であるべきなのだ。それはただ大人でいるということだけで満たされるものではない。誇りを持てない大人には荷が重い。どれだけ表面を取り繕っていても、それは言動に表れるのだから。
スポーツの現場などは典型的だ。実際に「先生」がスポーツ指導者を兼任していることが多いが、そうでなくても全てのスポーツ指導者は「先生」だ。スポーツには絶対に正しい教育的側面が必要なのだ。上に立つということを誤解して自らの立場に甘んずることなく、スポーツの指導者として、若きアスリートたちを導く「先生」として、誇りを持てる存在とはいかなるものだろうか。
折しも2020年の東京オリンピック開催が決まった。夢を描く若者は増えるだろう。アスリート養成にもより大きな力が注がれることだろう。スポーツ指導者の責も重くなる。忘れてはならないのは、スポーツによる教育は何もアスリートを育てるだけではない。その環境をつくり上げ、導き、支える人間を育てることも含まれる。観てさまざまなことを感じ取る心を育てることもそうだ。ともに切磋琢磨し、激励し合い、喜び、悔しさにむせび、一歩一歩前進する人としての強さを身につけるスポーツの現場。より多くのより優秀な「先生」たちが求められる。今後の日本スポーツ界のオリンピックに向けた歩みは、誇りある指導を見つめ直すいいきっかけになるだろう。
(山根 太治)
カテゴリ:指導
タグ:教育
出版元:岩波書店
掲載日:2013-11-10