ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
少年スポーツ ダメな大人が子供をつぶす
永井 洋一
(編集部注:この書評原稿では、上記『少年スポーツ ダメな大人が子供をつぶす』とともに、『ベストパフォーマンスを引き出す方法』室伏広治、咲花正弥、ベースボール・マガジン社が取り上げられている)
「体罰」に対する認識
スポーツ指導者と体罰についてどう考えるか、理想的な指導者とはどのような存在か、アスレティックトレーナーを目指す学生に問いかける。小さなクラス内でのグループディスカッションにもかかわらず、実際に体罰を受けたことがあるという数々のエピソードが語られる。そして、その多くが体罰を受けた側の受け取り方次第でそれが意味のあることだと考えている。自分が悪いことをしたから、失敗したから、そして強くなるためには、それは仕方のないことだと容認しているのだ。そう考える学生には「体罰」が悪質な「暴力」だという認識はない。
『少年スポーツダメな大人が子供をつぶす!』で著者の永井洋一氏は、本書が我が子にスポーツを体験してほしい親御さん、スポーツ指導者、スポーツファンに向けた提言書であるとしている。「スポーツとともに人生を歩み、現在もスポーツ指導者として現場に立ち、スポーツなしの人生は考えられない、スポーツを愛して止まない」からこそ、膿みきった病巣、とくにスポーツ現場に存在する暴力の問題を、指導者側の問題としてのみならず、親の問題、選手自身の問題、メディアの問題、スポーツ系部活動の仕組みの問題などさまざまな視点から論理的に掘り下げている。最終章では、学校スポーツ系活動の現場では、教育という理念を損なわず、競技の普及と競技力向上を同時に推進することは不可能だと断じている。
答えはわかっているはず
一方『ベストパフォーマンスを引き出す方法』では、日本を代表するアスリートである室伏広治氏と彼をサポートするチームコウジのコンディショニングコーチである咲花正弥氏が、それぞれの立場からさまざまな提言を行っている。内容は基本的なことで、日本体育協会スポーツ指導者共通テキストに含まれているようなことである。これは決して批判ではない。世界レベルのトップアスリートであっても、基本的なことから真摯に取り組むことが重要だと再確認できるからだ。「選手たちが自発的に、意欲的に取りくむようになるのを促すことは指導者の仕事のひとつであり、腕の見せ所」「言われたからやるのではなく、楽しい、面白いと感じて意欲的に取り組まない限り、長続きはしない」「成長期の真っただ中にある選手の場合、何をすべきかは難しいところ。その点は指導者の知識が重要であり、腕の見せ所となる」「与えられたことをただこなすだけでは、究極を目指すことはできない」「必要な時に必要な栄養を与えることが大切」「日本の子どもたちを見ていると、指導者に対してどこか萎縮している印象を受ける」「叱られまいと指導者の目を気にしながら、失敗しないように無難なプレーをするようになる」「いいことは褒め、悪いことは指摘する」「大事なのは、成功し続けることではなく、失敗に終わったときにどうするか」「やるべき時期にやるべきことをやらないのは本当の失敗」「チャレンジせず失敗することは、本当の失敗」「自主性を持たせたトレーニングで、自ら壁を乗り越えようとさせる」「成長していくことが楽しい、競技が面白いと感じる気持ちを植えつける」以上本書から抜粋した両氏の言葉の数々は、スポーツに関わる人間にとって金科玉条とも言えることばかりである。スポーツ界がどうあるべきか、皆答えはわかっているはずなのだ。
こんな当たり前のことを当たり前に行うことがどれだけ難しいのか、みんな普通に考えればわかるはずのことが、どれだけないがしろにされているのかは、『少年スポーツダメな大人が子供をつぶす!』で永井氏が論じる内容が非常に説得力を持つことでもわかる。その通りと膝を打つことがほとんどである。ただ、この本だけを読んでいたらどうしても違和感が拭いきれない。
取り組みに光を
冒頭で取り上げたグループディスカッションに参加したある学生は、中学校で体罰を受けて苦しんだが、高校の部活では人間性を磨くことを顧問の先生から学び、救われたと言う。学校生活の中で部活動の場を、絶好の教育環境として真摯に取り組んでいる例は、そしてそれが競技力向上をも伴っている例は本当にないのだろうか。
スポーツという題材を、教育者としての自らの役割をより効果的に遂行し、自らをも高める機会にしている指導者は少なからず存在するのではないか。スポーツジャーナリストとしての著作であるならば、自身の取り組みも含めたそのような人の活動も同書で対比して取り上げ、もっと光を当てるべきではないだろうか。部活を排除し、クラブスポーツが主体になったとしても、愚かな指導者はそう簡単に消えてなくならないように思う。だからこそ、真っ当に取り組む人たちをもっと取り上げるべきではないのか。それが私にとっての違和感の正体だ。
少年スポーツの問題は暴力や指導法の話だけではない。たとえば高校ラグビーを見ても、トッププレイヤーは忙しすぎる。公式戦、練習試合、代表招集、遠征、合宿などが、休みのほとんどない日々の練習の合間に繰り返される。どれだけ考えられた練習内容でもケガのリスクは上がり、選手は疲弊する。
実際に高校生で膝ACL再建術や肩関節脱臼手術を受けている選手が少なからず存在する。また部活以外で自分を成長させる経験も著しく制限され、ラグビー選手としてのみならず、人として将来を見据えた育成になっているかはなはだ疑問だ。こんなシステムはつぶしてクラブスポーツ化し、シーズン制を導入する方がいいと考える。ただ、そんな現状の問題点をあげつらってそれをダメだと断ずるだけでなく、よりよい方法で取り組んでいるチームにスポットをあて、成功例をつくるべく悪戦苦闘している指導者を紹介してもいいではないか。そういった意味では『ベストパフォーマンスを引き出す方法』では、それでいいんだと希望と勇気を与えられるのである。
我がクラスのグループディスカッションでは最後に、体罰や無茶苦茶な指導をしている指導者の下でアスレティックトレーナーとして働くとしたらどうする、ということを考えてもらう。体罰を暴力だと認識した上で、選手にとって最善となる自らの具体的なアクションをひねり出してもらうのだ。唯一無比の模範解答などあるべくもないが、「長くスポーツを好きでいてくれるよう指導してほしい」というスポーツ関係者ならば当たり前に持つはずの気持ちを大切に、当たり前のことを当たり前にできるように、我々は取り組まなければならない。
(山根 太治)
カテゴリ:指導
タグ:育成 指導
出版元:朝日新聞出版
掲載日:2014-01-10