ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
体育会力 自立した「個」を育てる
礒 繁雄
2種類の「好み」
“ポジティブな好みとネガティブな好みが人にはある”。こんな意味のことを言ったひとがいる。ポジティブな好みとは、“こういうものが好き”という能動的なもので、“今日はカレーが食べたいね”“うん!イイね!”という明るい感じ。対するネガティブのそれは“○○ではないもの”“嫌いなものを取り除いたもの”が好きといった否定的で受動的な志向から好みが形成されるタイプで、“何が食べたい?”と尋ねられたら“美味しいもの”などと抽象的な答え方をして相手を困惑させるイヤミなやつだ。困ったことに私はこちらの人間だった。
ところが、そういうのに限ってプライドだけは高いから人付き合いは大変だ。自分を肯定するために、まずは相手を否定する。だから、ひとの短所を探し出しては、アイツのここが嫌いあそこがダメと否定して自分を正当化しようとするのである。自分より才能があって能力の高い人を否定するほど快感を覚えるから、日本中の、世界中のスゴいやつら全てをドンドン、トコトン、完膚なきまでに否定していったら…アレッ?…誰も?…私も?…いなく?…なっちゃったぞ!
気づき
イヤなやつを抹消すれば有能な自分が残ると思って頑張ったのに、やっとの思いでみんな消したら私という存在も認識できなくなってしまった。世界中の人が皆消えてゼロになっちゃった。相手との対比の中でしか肯定できない自分は、否定すべき相手がなくなることで肯定したい自分すら否定してしまったのである。でも待てよ。ならば、逆に相手を肯定することから始めたらどうなる? 相手の良いところを見つけ、受け入れ、素直になって…おお!…いいぞ!…何だか私も肯定されているようだ。ゼロ(無)は裏返すと無限大とイコールだったのだ!ここにおいて、ネガティブを否定することがポジティブに成り得ることに初めて積極的に気がついた。つまり“悟り”だ。どこか違っているかもしれないが、つまりは、そういうことだ。
やれやれ。我ながら面倒くさい性質だが、そう気づいてからは色々な意味で生きるのが楽になった。油断すると今でも“ネガティブ魂”がアバレそうになるけどね。
ちゃんとしたスポーツ選手には“ポジティブ魂”優勢なひとが多いような気がする。物事をいちいちネガティブからポジティブに捉え直している暇などない。始めからポジティブに取り組んだ方が良いに決まっているからだ。当たり前か。
新しい体育会魂
さて「体育会力」。早稲田大学の競走部(=陸上部)監督、礒繁雄の手に成るものだ。礒は、「三大大学駅伝制覇」「関東インカレ」および「日本インカレ」総合優勝「つまり、学生陸上競技の主要大会の完全制覇」へと競走部を率いた名伯楽である。
平成生まれの「やさしい」気質をもった学生たちと、ポジティブな姿勢の礒が向き合い「学生スポーツの中から、世界で戦える個人が育つ」組織がつくる、新しい(あるいは、真の)体育会魂について語ったものだ。
礒は話術の名人だ。監督として「理論プラス経験タイプ」の冷静な分析眼と客観視でもって組み立てた緻密な論理を、湧き出る自信とともに“これでいいのだ”と言い切ってしまう。すると不思議なことに読み手は“ああ、ナットク!”と胸の内で手をたたいたりさせられているのである。損得や、誰かとの比較ではない“情熱”がベースとなった、自分の理想、自分の考えを、ただただ真摯に述べているからだと思う。
たとえば、「僕の役割は、学生たちがアスリートとして一番華々しく、一番輝いている時にスポーツをやめさせ社会へと送り出すことだと、はっきりと言うことができます」。また、「進学のために将来のためにスポーツをする、つまり日本社会の安定志向に学生を巻き込む危険をはらむ」現行の入試制度についての言及、あるいは「これからは『導かないで導く』ことを追求しようと考えて」いるのだという。“えっ?”という展開にも流石な解答が隠されている。太刀打ちできずとも、見習ってみたいものだと思った。
(板井 美浩)
カテゴリ:指導
タグ:体育会 陸上競技
出版元:主婦の友社
掲載日:2014-02-10