ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
近くて遠いこの身体
平尾 剛
どのように共有するか
著者は元ラグビー日本代表で、現在は大学の講師。スポーツ教育学と身体論が専門で、「動きを習得するために不可欠なコツやカンはどのように発生するのか、そしてそれを教え、伝える(伝承する)にはどうすればよいかについて思索しています。」とのこと。タイトルにも惹かれて本書を買ったのだが、残念なことに、これについて全くと言っていいほど触れられておらず、著者自身の回顧録のような内容である。オビの推薦文にあるように、本書の内容(=著者の経験知)が「パブリックドメイン」として共有できるとも思えない。感覚も身体の動きも人によって千差万別。たとえトップ選手の感覚であっても、それを共有し、他人が自分の経験知とすることができるものなのだろうか。
「身体能力を高めたい僕たちが本当に知りたいことは、そこに至るにはどうすればよいかという方法論である。でも残念ながらそんな方法論は存在しない。自らが試行錯誤しながら身体を使い続けるなかでの体感を、ひとつ一つかき集める以外に、そこに至る方法はないだろう。」と本文にある。ということは、結局、自分であれこれ試してみるしかないということなのだ。そこに先人の経験知を共有していれば、その試行錯誤の方向性が定まりやすいということはあるかもしれない。だが問題は、それをどうやって共有するか、ということだ。
伝えるために必要なもの
本書で、漫画「バガボンド」について触れられている。吉川英治著『宮本武蔵』を原作とする人気長編漫画である。著者曰く「身体論の研究にはもってこいの書」だそうだ。そこで私は、司馬遼太郎著『北斗の人』を連想した。
幕末に隆盛を誇った「北辰一刀流」の開祖・千葉周作が主人公の歴史小説である。司馬曰く「北辰一刀流がなければ、幕末の様相も多少変わっていただろう」というほどの革命的な流派だそうだ。「『他道場で三年かかる業(わざ)は、千葉で仕込まれれば一年で功が成る。五年の術は三年にして達する』という評判が高く、このため履物はつねに玄関から庭にまであふれ、撃剣の音は数町さきまできこえわたって空前の盛況をきわめた」というほどであり、その特徴は「凡才でも一流たりうる」という独特の剣術教授法であった。そして千葉は、剣法から摩訶不思議の言葉をとりのぞき、いわば近代的な体育力学の場で新しい体系をひらいた人物なのだそうだ。
一方、武蔵が開いた「二天一流」は幕末期には衰退していた。武蔵が記した「五輪書」にも刀の持ち方とか足さばきとか、具体的なことが書いてあり、摩訶不思議な言葉を並べているわけではない。たとえば「太刀の取様は、大指人さし指を浮けて、たけたか中くすしゆびと小指をしめて持候也」という具合である。しかし、この違いはなんだろう。時代背景も違うし、流行が流行を呼んだということもあるかもしれない。そもそも2人の剣豪を比較するつもりもないのだが、ここで私が考えたいのは「凡人でも一流たりうる」ためのコツやカンを、他人に伝えることは可能なのかということである。
本書にあるとおり「言葉を手放し、『感覚を深める』という構えこそが、運動能力を高めるためには必要」であり「『感覚』を拠り所にすれば、そこには努力や工夫の余地が生まれる」のだとしても、その感覚や経験知を伝えるためには結局言葉や方法論が必要なのではないか。
ブルース・リーは映画『燃えよドラゴン』(1973)で「Don’t think! Feel!」と有名なセリフを言ったが、実際には「感じろ!」だけではコツやカンを伝えることはできない。もっとコツやカンとは何ぞやということを掘り下げないと、それをどう伝えるかも考えられない。
本書に紹介されているエピソードに興味深いものがある。ラグビーの強豪ニュージーランドの20歳以下の代表チームと対戦した際に著者が経験した「狩るディフェンス」だ。わざと走り頃のスペースを空けて走りこませ、挟み撃ちにするのだ。ニュージーランドのラグビーの中でその技が伝統として継承されているという。メンバーの入れ替わる代表というチームで、阿吽の呼吸が必要なこういうプレーがどのように伝承されているのか。イメージなのか感覚や経験知なのか。ここにコツやカンとは何か、どう伝えるかというヒントがあるように思う。とても興味深いテーマに挑んでいる平尾氏の続編を期待したい。
(尾原 陽介)
カテゴリ:身体
タグ:身体感覚 ラグビー 教育 コツ カン
出版元:ミシマ社
掲載日:2015-04-10