ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
コンカッション
Jeanne Marie Laskas 田口 俊樹
言葉すら知らなかった
頭を強くぶつければ危険だということなど誰もが知っていることではないか。しかし弱小高校ラグビー部員だった頃の私は、頭をぶつけるなどラグビーでは当たり前のことだと考えていた。脳振盪という言葉すら知らなかった。脳を激しく揺さぶるのに、頭をぶつけることが絶対的な条件ではないことも認識がなかった。友人が死にかけるまでは。
試合で頭をぶつけた彼は、頭痛に悩みながらも練習を続けていた。1週間以上経った早朝に彼は意識不明に陥り痙攣を起こし、緊急開頭手術を受け生死の境をさまよった。幸い後遺症もなく回復したが、そのことは私がトレーナーを目指す原体験となった。だがその危険性を知った後も私はラグビーをやめようとは考えなかった。そして今までに自身も数回意識を失うような重度の脳振盪を経験した。大学卒業後の専門学校時代、国家試験を3カ月ほど先に控えた時期、クラブチームの試合で重度の脳振盪を起こした。試合会場で自分のカバンや車が認識できなかった。そしてその後しばらく本が読めなくなった。書かれているものが何かの記号としか思えず、意味が全く読み取れなくなった。危険を身をもって学んだ。ラグビーはやめなかった。頭を強くぶつければ、いや脳に強い衝撃が加われば危険だということなど誰もが知っていることではないか。そのリスクを負うか負わないかは自分の判断だ。
長いエピローグ
本書は、年間80億ドル規模を動かす組織でありながら、アメリカンフットボールというコリジョンスポーツで脳に強い衝撃が加われば危険だということを認めず、選手たちに対して負うべき責任を真摯に受け止めてこなかったNFL(NationalFootballLeague)にまつわるノンフィクション小説である。
日本未公開とはいえ映画化された作品である。だからといって、ここに描かれている全てのことが全ての側面から真実だなどとは思わない。ただ、NFL側が推定10億ドル(約1090億円)を支払うという和解にまで至った集団訴訟の引き金になったストーリーはドラマチックである。主人公は、禁断の箱を開けてしまったナイジェリア移民の黒人監察医、ベネット・オマル氏である。
冒頭部分では、オマル氏の家族やナイジェリアの内戦など、彼がアメリカにたどり着くまでの生い立ちが描かれている。メインテーマに至るまでのこの長いプロローグは、その必要性に疑問を持ちながら読み進めることになるだろう。
しかし、アメリカの価値観の中で育ってこなかった異文化の黒人でなければ、アメリカンフットボールという競技はもちろん、それがアメリカの人々にとってどんな意味を持つのか全く知らないナイジェリア移民でなければ、彼が発見したタブーを確固たる決意を持って白日のもとにさらすことはなかったのかもしれない。そしてこのことで、後に彼が物語の中心から「隅っこ」に追いやられることを考えると、父の死にまつわる後日譚であるエピローグとともに理解しておかなければならないように感じる。
知っていたはず
物語の核心は、元NFLピッツバーグ・スティーラーズのスーパースター、「アイアン・マイク」ことマイク・ウェブスターが2002年の9月に心臓発作で亡くなり、オマル氏が検死することになったところから始まる。
彼が死ぬ前にとっていた異常行動を聞いて、オマル氏は脳を検査しようと思いつく。かくして50歳という若さで亡くなったウェブスターの脳には、アルツハイマー患者に見られるような神経原線維変化、タウ蛋白の蓄積が見つかった。
脳に強い衝撃が加われば危険だということなど誰もが知っていることではないか。脳振盪は、テキストに書かれているような一過性の脳機能障害ではないのだ。NFLを引退した選手の中に「正気を失っていく男たち。妻をぶん殴り、自らの命を絶つ男たち」がいることと頭を何度も何度も強くぶつけてきたことと、結びついていなかったわけがない。
私がアメリカに留学していたのは1995年から99年にかけてだが、自らの経験から脳振盪についてはかなり調べ込んだ。事実、段階的復帰のガイドラインやセカンドインパクトシンドロームのことなど、その頃すでにたくさんの文献を見つけることができた。そう、「米国神経学会(AAN)は脳震盪を起こしたスポーツ選手が競技に戻る際のガイドラインまで作成していた」のだ。
しかし、脳外科や神経病理学の門外漢であり、しかも後に判明する経歴詐称をしていた医師をトップにしたNFL軽度外傷性脳損傷(MTBI)調査委員会は不都合な論文の撤回を図るなど、「ほんとに選手たちはこれで大丈夫なのか?」という疑問を「調査結果に不備がある」と打ち消す役割を果たしていたのだ。「複数回脳震盪を起こした選手は臨床的鬱病にかかるリスクが三倍になる」「繰り返し脳震盪を起こしたNFL選手は、軽度認知症(アルツハイマー病の前段階)になるリスクが五倍になる」「引退したNFL選手がアルツハイマー病を患う確率は、通常の男性に比べて三七パーセントも高い」といった調査報告を否定し続けていたのだ。
科学をカネで買おうとする「茶番」だとは誰も思わなかったのか。「アメリカンフットボールのプロ選手は、日常的かつ頻繁に繰り返し脳を強打されているわけではない」などという発表に、えらいセンセイ方がそうおっしゃるなら間違いないと皆思っていたのか。特別番組でフットボールが消耗性脳障害を引き起こす可能性について、ただ「ノー」「ノー」「ノー」と答え続けたMTBIのドクターに、一体いくらもらってるんだと思わなかったのか。いや、脳に強い衝撃が加われば危険だということなど誰もが知っていたはずだ。ただ、それこそがアメリカンフットボールという競技の醍醐味だったというだけだ。
オマル氏は、若くして不幸な死を遂げたNFLの元選手たちに見られた脳の異常を慢性外傷性脳損傷(CTE、chronictraumaticencephalopathy)と命名し、「マイク・ウェブスターは疾患の脳組織分布を通して、私たちに語りかけていた」ことを信じ、この障害に苦しんでいる人を助けたいと活動を続ける。しかし、オマル氏の意図をよそに、別のさまざまな奔流がさまざまな場所から巻き起こっては流れ込み、大きなうねりとなって6000人の集団訴訟となる。「80億ドル規模の組織でありながら、選手たちに対して負うべき責任を真摯に受け止めてこなかった」NFLは、「上限のない和解案」として、今後65年の間に約10億ドルの賠償金を支払うことで合意した。ただし、これに合意しない家族の訴訟はまだ続いている。見えなくさせるものCTEを患った引退選手、そして彼らの家族をも巻き込んだ数々の悲劇には本当に心が痛む。いくら激しいぶつかり合いが競技の本質だと言っても、選手の安全は出来うる限り守られなければならない。当然だ。しかし、頭をぶつけ、脳を揺らし続けて、選手たち自身は本当に問題ないと思っていたのだろうか。「アンフェタミンもステロイドも多種多様なサプリメントも、効き目があるといわれるものは何でも試した」というアイアン・マイクを始め、引退後に異常行動に至った選手たちは、それら全てが起こしうるリスクを、本当に疑っていなかったのだろうか。
営利心や功名心が、それを見ようとさせなかったのではないのか。巨万の富を得ようとする欲が、誰もがうらやむ存在になりたいという欲が、自分の地位を守りたいという欲が、この競技に生きたいと願う欲が、脳に強い衝撃が加われば危険だと誰もが知っていることにも自ら蓋をしていたのではないのか。NFLという組織がそうしていたように。「心が知らないことは目にも見えない」のだ。危険なスポーツを続ける自分自身にも責任はあるはずなのに。
ボクサー認知症のような脳挫傷の痕跡も萎縮も見られなかったウェブスターの脳を薄い切片に切り出し、染色してプレパラート処理し、さらなる調査を決意したオマル氏の判断やその後の行動は、欲と相談したものではなかったように感じる。父の教えに従い、彼は「人々の生活をよりよくするために」「自分の才能と公正さを使わなきゃいけない」という信念をもとに行動したのだ。「知っているなら、進み出て述べよ」と。
彼に功名心や豊かになりたいという願いがなかったわけではないだろう。しかしそれは、化け物のように欲深い世界に生きる輩に比べればごくささやかなものだったろう。彼は自分の信念に基づき、自分が自分であり続けるために、やるべきことをしようとしただけだ。生きるために持つべき信念があるなら、私はオマル氏のようでありたい。
(山根 太治)
カテゴリ:スポーツ医学
タグ:脳震盪 アメリカンフットボール
出版元:小学館
掲載日:2016-07-10