ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
書のひみつ
古賀 弘幸 佐々木 一澄
走りに表れるもの
走りには人が出る。まずは骨格や筋(肉)のつき方を含めた体形、筋線維組成や筋・腱複合体の働き具合(バネ)といった身体的要素に影響を受ける。そしてまた、そのときの内的感覚や視覚から入るフォームや動きなどのフィードバックから走る主体(つまり走っている私)は様々な思いをめぐらせ、どうやったら速く走れるかという方法論や、どうやったらカッコよく or 気持ちよく走れるかといった趣味の問題までもが意識無意識にかかわらず投影される。“なってしまう走り方”とともに、“こうしたい走り方”が、人の走りには反映されてくるからだ。“無の境地”で走れること(人)など極めて稀だろう。
思想や信条まではわからないが、気質や性格、感情や想いなどは走りによく表れるものだ。そのため、スポーツによる交流は人としてプリミティブな部分での深い共鳴を選手同士に芽生えさせ、見ている者には大きな感動を呼び起こさせる力があり、それが、“スポーツは言葉の壁を超える”といわれる素になっているのだろうと思う。
「書」にも表れる
一方でまた「書」にも人が出る。「書は人なり」という言葉もあるように、「書かれた文字」には「書いた人の人格」と「強い関係」があって「書き手の息遣いやその人のセンス」が表れる。「書」は、文字を基本としていることから、より高次な情報がそこに乗る。「政治、思想、宗教、文学など」「さまざまな人間の営みが書を通じて表現」されてきたため、「書の線にはいろいろなものが溶け込んで」いるのだ。
また、“走り”も「書」も、「一回きりの生々」しい身体表現という点でも共通している。
さて、今回は「書のひみつ」。「書」の「いろいろな見方、面白がり方をなるべく広く紹介」し、「魅力を改めて発見するためのガイドブック」だ。
中国で生まれた「書体」の歴史や「書風(個人の書きぶり)」、日本で独自に発展した「かな文字」の「連綿(続け字)」する「文字の美しさそれ自体の追求」の味わい方などが紹介されている。読んでいて面白いのは、「書」は、紙の上に時間が固定されているため数百年前の息遣いが今ここで感じることができる点だ。それに加え、引用されている図版の選出や、説明の言葉選びに対する著者の苦労を想像することもこの手の書物の面白味なのではないかと思う。優れたガイドブックは、その世界を一望できる情報をわかりやすく提示し読者の世界観を変えてくれるものである。本書は読了後、世の中の見え方を明らかに変えてくれる。
抽出される言葉
話題は跳ぶが、膨大な物語から抽出してわかりやすくといえば、スポーツ選手のインタビューも同じものと考えることができそうだ。たとえばゴルフ選手のインタビューなど見ていると、数日間にわたるプレー(たとえば 3 日間54ホール分)の要点を的確に抜き出し、全体の流れに及ぼした影響や意義を、平易な言葉を用いた短いセンテンスで明確に伝える、あるいは全体を一括して感想を述べるといった場面に遭遇することがある。
たとえば全英オープンで優勝を果たした渋野日向子選手のインタビューでは、幾通りもの応え方がある中から瞬時に一つを選び、発した自分の言葉に対して責任を取っていく姿は、プレーそのものにも似た「一回きりの生々しさ」にあふれた潔い言葉の数々で、見ていて心が躍るので動画サイトで何度となく再生したものである。
また、彼女は書道が得意とのことで、腕前を披露しているTV番組があった。とても堅実な書き手で、線を一本引いては墨、点を打っては墨と、一文字書くうちに何度も墨継ぎをするので出来上がりはどうなるのかとハラハラしたが、不思議なことにバランスの取れた書きあがりになっているのである。
ゴルフが一打々々の積み重ねの上に成り立っているスポーツであるということに関係しているのだろうか。とすると、もし渋野選手が「連綿」の書法を身につけたとしたらどんなプレーが展開されるようになるのか。勝手に妄想は広がるのである。
(板井 美浩)
カテゴリ:身体
タグ:書道
出版元:朝日出版社
掲載日:2021-02-10