ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
ゆで論 パスタの新しいゆで方
奥田 政行 小暮 満寿雄 長谷川 潤
小さなチャレンジ
さて今回は「ゆで論」。イタリアンのシェフがパスタのゆで方について徹底的なこだわりを投影させたものである。
じつは小欄の書籍選びでは、できるだけトレーニングとは異なるジャンルで行ってみようという小さなチャレンジを課している。理由はたとえばこんな記述に出会うことがあるからだ。「パスタ料理は、感覚で作る料理です。しかし私の場合、あるときからそれが変わりました。感覚から見えてきたことの背景に何か理屈が隠れているような気がして、実験と検証を重ねていくうちに、方程式が現れてきました。その過程では必ず壁にぶつかります。いったん矛盾だらけになるのですが、その壁にあるとき小さな穴が開いて、そこを壊していくと、矛盾が矛盾でなくなり、最後にすべてつながりました」。
この文章は、教えられることや自ら気づくことについて等々、そのまま体育やスポーツ、トレーニングの場面に当てはめられるように思うのである。そして、こういう達人の言葉がジャンルの垣根を越えて読者の琴線に触れることがあれば良いなと思う。
小欄の考える達人とはジャンルを問わず“自在である人”のことを指したい。状況改善の必要に駆られ、環境に不平を言うことなく徹底的に考え抜き、膨大な理論的裏付けのもとに身につけた技術を、明快な説明でもって素人にわからせることができる人。“何でもできる人”のことでは決してない、柔軟性のある思考力を持った人を達人と呼びたい。
画期的なゆで方
パスタ(スパゲッティ)は一般的に塩分濃度1.0〜1.5%の湯でゆでる。汁物でおいしいと感じるのは0.9%ぐらいらしいので、飲むとしたら結構しょっぱいと感じる濃度だ。ところがこの「ゆで論」では2.3〜2.7%という相当なしょっぱさの湯でゆで、そして、あろうことか「ただのお湯」で「ゆすぐ」のだ。ゆすぎ時間は0.5〜30秒。ソースの種類によって使い分け、仕上がった一皿の塩分濃度が同じくなるよう調整するのである。
想像したこともないやり方だ。スパゲッティは大好きで、初めは伊丹十三の「スパゲッティの正しい調理法」(『ヨーロッパ退屈日記』文春文庫、1976年)に感化され書かれているとおりに作っては食べ、そのやり方が一番旨いと永いこと信じてきた。ところがソースにとろみをつける「乳化」という方法(『落合務の美味パスタ』講談社+α文庫2006年)を知り、格段に美味しく作れるようになったと悦に入っていたところ、最近になって動画サイトで知った日髙良実というシェフのやり方(「Chef Ropia料理人の世界」YouTube 2020年)を真似てみたらこれまでで一番美味しいスパゲッティを作ることができた。
ところが、ところがである。この、『ゆで論』にある「パスタの新しいゆで方」は、落合、日髙をはじめ日本の名だたるシェフですら思いつかなかった方法で彼らを驚かせるどころか、「イタリアのパスタメーカー本社で披露する」ことになってパスタ文化の本場イタリアの人々をも仰天させる画期的な方法であったらしい。
ならば、ということで早速レシピに倣ってやってみた。ダメだった。もう一度やってみたら少しはましになった。3度目は、うーむ、2度目とそんなに変わらなかった。
ひとつ考えられるのは、著者の奥田政行が作りたいのは「ひと口目ではなく、3口目でおいしいと感じる」パスタ料理であるからのようだ。なるほど、レシピの写真にはどこか和食を思わせる、バランスよく「具材の味を主張させた」ものが多い。これまで小欄が目指してきた「ひと口目でおいしいと感じる料理は飽きが来る」のだった。
日頃学生に、話を聞いて分かったような気になるだけでなく言われたことをやってみないといけないよ、などと言っている手前、ちゃんとやってみたつもりだったが詰めが甘かった。これはいつか本物を食べてみないことには正解がわからないかもしれない。
つながる瞬間
余談になるが、小欄の勤める大学の学生は超絶な偏差値の学力を持つ者が多い(ほぼ全員)。ところが、もっと分析的に頭脳を使ったらいいんじゃないかと思うのだが、運動やスポーツ、体育会系の部活動となると、どういうわけか“気合と根性”みたいな固定観念に拘泥してしまう者が多い(ほぼ全員)。
しかしまれに、ウェイトトレーニングをしているラグビー部員などを捕まえて、運動器の連携を、習ったはずの筋・骨格・関節など解剖用語とともに挙げ方のアドバイスなどしているとき、これまでの知識と経験がバチバチと(煙まで見えるように)音を立ててつながる瞬間に立ち会えることがある。5年生にもなって“なんだ!?このバーベルこんなに軽かったのか?”などと呆然としている姿が見られたときなどは全身に鳥肌が立つような嬉しさを覚えつつ、したり顔をしたい衝動を抑えるのに苦労したりする。知識が柔軟性をもって知恵となり、本物の身のこなし方をこの学生が体得した瞬間だ。
ともあれ、コロナ禍で様々な行動を控えなければならない状況にあって自由に飲食に出かけることは叶わないが、置かれた環境を恨むことなく試行錯誤の末に「ゆで論」を確立した奥田のような柔軟な発想を見習っていきたいものだ。
本書は多少、値は張るが、コロナの終息を願って5670(コロナゼロ)円と設定されている。晴れてレストランで食事ができるようになった暁には、本物の「ゆで論」パスタを食べ、3口目に“なんだ!?このパスタこんなに美味しかったのか?”と呆然としてみたい。
(板井 美浩)
カテゴリ:食
タグ:パスタ
出版元:ラクア書店
掲載日:2021-06-10