ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
日本はライバルか コリアンアスリートからのメッセージ
山田 ゆかり
民族とは何か
このところの世界情勢をつかむためには、「民族」というキーワードが外せなくなった。スポーツの世界においても、競技成績を左右する身体的特徴に代表される人種以外に、慣習的、風土敵、さらに政治学的意味合いを色濃く含む「民族」という言葉の理解が必要となってきている。
民族とは何かという答えを見つけることは容易ではないが、民族の違いを考える基準を示すことはできる。たとえば、先に述べた人種や使用している言語、宗教や文化がそれである。これらの違いが、たとえ地理的には隣接していても、ある意味で民族の違いを意識させる決定因子になることは確かなことである。
この点、日本は島国という特殊な地理的環境を持つため、歴史的に自分と他者との違いを特別意識する必要がなかった。つまり、人種的にも、言語的にも、さらに宗教においてもほぼ単一の、いわゆる国家を形成する集団(ネーション)と文化を共有する集団(エトノス)がほぼ重なり合うという特殊な歴史を日本は続けてきたわけだ。このため、日本人の「民族」に対する意識はあまり強くない。
ところが、最近日本ではこの「民族」あるいは「民族的アイデンティティー」という言葉が積極的に使われ始めてきているように思う。多分、2002年の日韓共催ワールドカップ大会あたりからではないだろうか。他国の選手やサポーターが強烈な民族性を全面に押し出してきたことに、大半の日本人は驚いてしまった。もちろん最初に「民族」の問題がクローズアップされたのは、言うまでもなく米ソ冷戦終了後の共産主義体制の崩壊に端を発する東欧諸国の民族意識の噴出からであるが、こういった世界事情も、多少不謹慎な発言をさせていただければ、日本人にとっては単なる対岸の火事にすぎなかったのである。
しかし、ワールドカップは違った。他国民の「民族」というイデオロギーに裏付けられたゲームへのこだわりや勝負へのこだわり方は、日本人にはちょっと理解の度を越えたスポーツへの関わり方として映った。そして、その斬新なスポーツへの関わり方は、結局平和的意味での「愛国心」という日本人が忘れかけていた日本人のアイデンティティーを蘇らせる結果となったのである。
近くて遠い国
ワールドカップでは結局日本と韓国の直接対決は叶わなかったが、両国は間違いなく今後もライバル関係を続けるだろう。では、他の種目においてはどうか? この問いに答えてくれるのが本書である。本書には、サッカーだけではなく、マラソン、ホッケー、スケート、野球、ゴルフそしてテコンドー、障害者スポーツに至るまで、幅広い種目におけるライバル一人一人にインタビューがされている。お互いに名指しでライバルと呼びあう選手たち。それぞれの国へのあこがれとライバル心が混在する選手。韓国が日本に持つ歴史的な感情を率直に述べる選手。日本生まれの韓国選手。
老若男女、様々な環境に育った選手達へのインタビューを通して、いかに両者が近くて遠い国の存在なのかが明らかになっていく。と同時に、本書に登場する選手たちの、特に韓国選手たちの民族意識の高さに驚かされる。科学的トレーニング理論や技術論では説明つかない「民族の血」による“心理的限界”がこれからのスポーツの理解には欠かせないのではないかということにも本書は気づかせてくれる。本書は、今後日本人選手が海外で活躍したり、国際競技力を向上させるためのヒントを示していると言ってよい。
著者が最後に言っている。「日本と韓国の関係を線に喩えるなら、決して交わることのない平行線のようなものだ」と。どうやら、両国は永遠のライバルのようだ。
(久米 秀作)
カテゴリ:その他
タグ:ライバル
出版元:教育史料出版会
掲載日:2003-04-10