ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
カシタス湖の戦い エクセレンスを求めた一人の男の物語
Brad Alan Lewis 榊原 章浩
誰も俺たちに勝てない!
「午前5時30分、気温摂氏3度、強い南風の吹く中、我々は艇とオールを抱えて湖の方へと急いだ。我々が呼ぶところのカシタス湖の戦いが今始まったのだ。」
主人公のブラッド・アラン・ルイスはカルフォルニア生まれのスカラー(漕手)だ。彼は数々の世界選手権に出場するが成績はぱっとせず、ようやく1980年モスクワオリンピック大会クォドルプル代表の座を勝ち取ったが「大統領ジミー・カーターが、80年モスクワ大会のボイコットという許しがたい決定」を下したため、ついにオリンピック出場も叶わなかった男である。しかし、彼は不屈の精神とほんのちょっとのユーモアによって、1984年ロサンゼルスで開催が予定されているオリンピックに出ることに照準を合わせた。それも、なんと全米1位のスカラーにしか与えられない“シングルスカル”というたった1つの代表の椅子に。これは、もうユーモアの域を超えている。しかし、彼に言わせればこれこそ「ブラッド・ルイス流の大冒険」の始まりだと言うわけだ。その第一歩として、オリンピック会場となるカシタス湖でのローイングを選んだのである。ただし、パトロールにみつからないようにだ。
冒険には必ず好敵手というものが存在する。彼の場合は、オリンピック・スカル・チーム・コーチのハリー・パーカーである。ハリーは「最強の鎧も突き刺すことのできる魔法使い」のような人物で、全米漕艇界の伝説的人物である。彼は「手堅く、折り紙つきの信頼できる選手」を好んだ。ところが、ブラッド・ルイスはと言えば「容器で、風変わりで、あまりにウエスト・コースト的」。つまり、単に二人は趣味が合わないということなのだ。
そして、もう一人忘れてはいけない人物は通称「ビギー」と呼ばれているジョン・ビグロー。彼はハリー軍団の一員で「彼の遠く見つめるような目つきは、何かとても大切なことをこれから言おうとしているかのような印象を与えるが、そのほとんどが期待はずれな」男であるが、ブラッド・ルイスのシングル・スカルの強敵となる男でもある。
スポーツ・ファンタジー・ノベル
日本では、気合、根性、努力、汗、涙など人間が究極の選択を迫られたとき必要なありとあらゆる生理的現象を中心に語られがちなスポーツ・ノベル。「スポ根モノ」なんて言葉があるが、日本人って、もしかしてサド・マゾ的嗜好が強いのかな?
閑話休題。しかし、本書は今ご紹介したとおり、全篇ペーソスとユーモアにあふれ、時には鋭く、時にはゆったりとした旋律でストーリーを紡いでゆく。そして、息つく暇もないハラハラ、ドキドキの試合展開。まさに、著者が優れたスカラーであると同時に優れたストーリーテラーであることを十分に証明した作品だ。本書はまさにファンタジー、スポーツ・ファンタジー・ノベルなのである。そして、このファンタジーの結びとなる「エピローグ(パズルの完成)」がこれまた絶品。もうこんだけ褒めたら、褒めるとこないやろうといわれそうだが、堪忍な! ここまできたらもう一つ褒めさせてください。それはこの作品の豊かな感性と香りを失うことなく日本語に訳することに成功した訳者。貴方に、僕は最後の乾杯を贈りたい。
(久米 秀作)
カテゴリ:人生
タグ:ボート
出版元:東北大学出版会
掲載日:2003-07-10