ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
スポーツ選手なら知っておきたいからだのこと
小田 伸午
“言葉”が選手を変える
「からだの力抜いていけよ!」「リラックスしていけよ!」。これは、よくスポーツ場面で聞かれる言葉である。選手のパフォーマンス向上を願って発せられる言葉だと思うが、実はよく考えてみるとこの言葉はおかしい。なぜなら、スポーツの場面でからだの力を完全に抜く場面は皆無に等しいし、第一それではスポーツという活動が成り立たないからである。単なる応援のつもりならば、こんなあいまいな言葉でも許されるだろうが、こと指導者ともなれば、この場合は「余計なところに力をいれるなよ。余分な力もいれるなよ」が正しいであろう。さらに続けるならば「そのためには、具体的にはこうするといい」とアドバイスしたいところだ。
このように、スポーツの指導場面においては、当然のことながら多くの“言葉”が用いられている。本来なら、適切な言葉でその競技スキルに見合った“力の入れ所”と“抜き所”を指導できてこそよい指導者ということになるところだが、実際には動作を見た目で言葉にして指導に使っていることも多々ある。たとえば、本 書 に は 次 の よ う な 文 章 が で て く る 。(競泳クロールの手のかき動作について)「プル(引く)という表現も要注意です。外から見るとプル動作のように見えますが、動作感覚としてはプッシュ(押す)です。水泳のかき動作は、水の中で手を後方に動かす動作であると勘違いしやすいですが、手の位置が後方に移動するのではなく、からだが前に進むのです。」とすると、たとえ選手が一流の素材を持つ選手であったとしても、指導者の観察眼が二流ならば、選手には「水をキャッチしたら自分のほうへ引っ張るんだ」と指導してしまうだろうし、トレーニングは“引く”に力点が置かれてしまうであろう。本当は、“押す”感覚が正しいはずなのに、コーチには正反対の感覚を指導された......。指導者の責任は重い。
“常歩”と“押し”
“なみあし”と読むそうである。世界陸上の200mで並み居る強敵を押しのけて堂々 3 位に入賞した末次慎吾選手が取り入れたとして有名になった“なんば”走りを本書ではこう呼んでいる。理由は「なんばというと、多くの人が(歩行などの)遊脚期の足と手が(同時に)前に出るというふうに勘違いしています。また、なんばでは、左右軸のいずれか片方に軸を固定して使う場合が多くありますが、スポーツの走動作では、左右の軸をたくみに切り替えていく動きになります。そこで、私たちの研究グループは、スポーツ向きの二軸走動作をなんばと言わずに『常歩』という言い方であらわすことにしました。」この二軸動作の詳細については本書に譲るが、ここでも前述した水泳同様に感覚の誤解を指摘しており、走動作においては“蹴る”という感覚ではなく、振り出し脚に腰を乗せていく感覚を強調すべきであると言っている。こうすると、自然に身体の軸は左右二軸となり、からだが前に出る運動量が格段と増すという。また、このときの足裏の感覚も“蹴る”ではなく“押す”、振り出した脚の膝は“突っ張る”のではなく“抜く”というのである。このような新感覚の指導言語は、正しい身体動作の理解から生まれたものである。
「コーチは選手とよいコミュニケーションを図れ」は当然のことだが、必ずしも問題の中心を指摘することがよいとは限らない。ときには、選手がうまくできない部分から意識をはずしてやり、違う言葉で正しい感覚を教授してやることも必要だ。自分の使った言葉によって、選手に新たなパラダイムシフトが起これば、指導者冥利に尽きるというものである。
(久米 秀作)
カテゴリ:身体
タグ:身体 動作
出版元:大修館書店
掲載日:2005-07-10