ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
企業スポーツの栄光と挫折
澤野 雅彦
絶滅寸前の“企業スポーツ”
今回の本の出版元である青弓社というところは、なかなか“骨太”な本を出すところだ。たとえば、その中の一冊に「運動会と日本近代」という本がある。この本は、1874年(明治7年)にイギリス人将校の提案で始まった“近代”の運動会が、いかに日本人独特の祝祭的性格にマッチし、日本社会に融合され、近代化教育の中で有効な身体教育装置として機能したかを書いたものだ。今日ではごく当たり前の学校行事が、実は初期の日本近代化政策を推し進める上で大変重要な役割を果たしたというわけだ。青弓社には他にも近代日本の成立過程をスポーツというキーワードを使って解き明かそうとした作品が多い。
今回ご紹介する本書もこの流れに沿ったものだ。「本書では、『企業スポーツ』を考えてみたい。(中略)オリンピックの商業化を契機に、世界中がスポーツを支援しはじめている。(中略)もちろん日本も例外ではなく、選手のスポンサーになって、冠大会を開いて会場の宣伝用のプレートを掲げ、メディアを通じて企業名を宣伝している。だがしかし、本来の意味の『企業スポーツ』は、産業構造の変化とともに、また、企業収益の低下とともに、衰退の道を歩み始めているのである」。ここで言う“本来の意味の企業スポーツ”とは何か。筆者はそれを日本の文明と言う。「どのようなスポーツをどのような世界観に基づいておこなうかというスポーツ文化(ソフトウエア)の研究よりも、そのスポーツがどのような装置や仕組みを通しておこなわれるか、といったスポーツ文明(ハードウエア)により興味がある」。さらに、筆者は「『企業スポーツ』とは何だったのかについて、消え去ってしまう前に書き留めておきたい」と言う。今、日本の文明のひとつが絶滅寸前なのである。
「企業スポーツ」は日本を救えるか?
スポーツが日本の企業の中で注目され始めたのはいつの頃であったか。筆者は「『日本型』労務管理が黎明期を迎えるのが第一次世界大戦の時期、つまり1912年ごろ(明治末期から大正元年)のこと」であって、「大正期に入ると、雇用状況の変化に応じて、企業主の温情としての福利厚生制度が出現しはじめる」と言う。なぜなら、産業技術が新段階を迎えるにあたり“現場での熟練工”の重要性が認識され始め、終身雇用的な労務慣行が意味を持ち始めたからだ。そして、経営者のなかに「経営家族主義」なるイデオロギーが浸透し始める。つまり、社員はみな家族というわけだ。このイデオロギーはストライキなどの労働運動の抑制にも効果があったと言われる。
今年のプロ野球界には激震が走り続けている。IT産業による企業の買収・合併攻勢のなかで親会社が揺れているからである。が、プロ野球の成立過程を考えればこれは宿命だ。所詮親会社の広告塔なのである。しかし、企業スポーツは違う、と筆者は言う。「本書で扱おうとしているものは労務部・人事部所管の企業スポーツであり、従業員の福利厚生または教育訓練としての企業スポーツである。決して、広告宣伝部のそれではない」。つまり、会社の根幹をなす人材教育の受け皿として企業スポーツは存在価値があるというわけである。筆者の専門である経営学の古典的理論に“満足化理論”というのがあるそうだ。これは極大利潤を目指してぎりぎりのことをやる企業より企業が存続できる程度の利潤を目指す(満足化利潤)企業の方が社会的イノベーションが起こしやすいとう理論であると言う。「組織は常に余剰を抱えるべきで、余剰の有効活用をしようとするときに革新が起こる」という筆者の提案に素直に耳を傾けたい。その意味で「企業スポーツは日本を救う」的解釈は新しいと思う。
(久米 秀作)
カテゴリ:その他
タグ:企業スポーツ
出版元:青弓社
掲載日:2005-12-10