ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
選手の潜在能力を引き出す クリエイティブ・コーチング
ジェリー・リンチ Jerry Lynch 水谷 豊 笈田 欣治 野老 稔
正統な「コーチング本」
書店を訪れ、本の購入のためでなく端から端までゆっくり見渡すことが私の習慣になっている。さまざまな「○○力」を持った有識者の方々により、迷える人々を目的地に導かんと書かれた「コーチング本」がよく目につく。「こうすればああなれる」とか、「こんな人はこうしなさい」とか、ありがたい話である。ハンガリー北西部の小さな町Kocsで15世紀につくられていた馬車は、金属バネのサスペンションを持っていたらしい。おそらく当時では乗り心地が抜きん出てよかったのだろう。目的地まで人や荷物を安全快適に送り届けるその馬車は、やがて町の名前で呼ばれるようになった。ご存じの方も多いだろうが、これが現在の「コーチング」の語源だと言われている。
私は若い頃からひねくれ者で、人に目的地を決められたり導かれたりすることが嫌いだった。そのため「こうすれば、ああなる」といったたぐいの本を敬遠することが常だった。いや、謙虚に人の話も聞かなければいけないこともわかっているし、食わず嫌いはよくないので話題書には目を通してみる。果たして、反感ばかりで受け付けないことが多い。損をしているのか、得をしているのか。
さて本書はそのようなビジネス系や自己啓発系の「コーチング本」ではない。スポーツコーチングの正統という内容である。原書は2001年出版であるが、スポーツにおける「教えること、導くこと、動機づけること、そして勝つこと」についての黄金律に埃は積もっていない。偏らず、肝心なことを見失なうことなく、あるべきことがあるべきように書かれた、まさにコーチのための「コーチング本」として好適である。アスレティックトレーナーにとってもいい参考書になるだろう。
血肉としてこそ
ただ、どれだけ素晴らしい「コーチング本」でも、読むだけでは読者に何が起こる訳でもない。当たり前のことだ。読んだことをそのまま鵜呑みにしたり、受け売りしたり、あるいはそのまま実行したりするような影響の受け方では、薄皮一枚飾り立てることと同じである。また、本書に書かれた全てのことを完璧にできる人間など存在しないだろうし、いたらいたで気味が悪い。結局はさまざまな形で得た知識や経験を選別してかみ砕き、己の本来持つ主義や性格と混ぜ合わせて消化し、血肉としてこそ本物になれる。大仰に言ってしまえば、コーチやトレーナーにかかわらず、自分をつくり上げなければ物にはならないのだ。とまあ常々そんなことを思ってはいるのだが...。
真の勝者とは
閑話休題。先の「勝つこと」とは、もちろん試合に勝つというだけの狭義のものではない。本書の序文に往年のフットボール界の名将の言葉が引用されている。「自分のコーチングが成功したかどうかは20年たってみないとわからない。選手たちがやがて年齢を重ね、人間的に豊かに成長を遂げたことが明らかになったときにこそ、初めてこのコーチは競技場の内でも外でも、『真の勝者』としての評価を得るのだから」。これはまさにおっしゃる通り。多くの心あるコーチやトレーナーも賛同するだろう。
もちろん限られた期間に一定の結果を出す責任を両肩に背負うプロコーチも多い。彼等はそんな綺麗事は隅に追いやり、なりふり構っていられないと言う人もいるだろう。しかし、結果を出してくる指導者は、みな強烈な人間的魅力があり、選手の人間的魅力も引き出し高める存在なのだと思う。
近所に、某競技で未曾有の全国大会四連覇を果たした高校がある。最近は全国大会出場を逃している。それとわかるカバンを持った部員と帰宅中の電車で遭遇することがある。乗降するほかの乗客にお構いなしに、と言うよりもあえてドアの前に居座る部員たちがごく一部ではあるが存在する。黙っていられない性分なので注意する。それがその競技を愛するものとしてどれだけ残念なことか。彼等の指導者もそれを知れば同様に感じるだろう。スポーツコーチングとはいえ、その根本は一筋縄ではいかない人間教育であることを忘れてはなるまい。そのためにはまず自分自身から、である。
(山根 太治)
カテゴリ:指導
タグ:コーチング
出版元:大修館書店
掲載日:2008-09-10