ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
コマネチ 若きアスリートへの手紙
ナディア・コマネチ Nadia Comaneci 鈴木 淑美
世界が驚いた演技
“アパセロスアパアムロスベロンヘルメルローマ東京”
何のことかと言うと、近代オリンピック夏季大会の順番だ。学生時代、体育史のテスト前にこの妙な語呂合わせを皆で覚えたものだ。第1回がアテネ(ギリシャ)で1896年。次いで、パリ(フランス)、セントルイス(アメリカ)、ロンドン(イギリス)、ストックホルム(スウェーデン)...ローマ(イタリア)ときて、1964年に第18回の東京オリンピックと続く。4年ごとの開催だから、それぞれの大会が行われた年がおのずとわかることになっている(ただし、1916年、1940年と1944年の計3回、戦争のため中止を余儀なくされた)。東京オリンピックまで覚えておけば後は簡単に言えるはずだったのだが、今回の北京大会(第29回)では東京大会からすでに11回を数え、記憶が怪しくなってしまった。歳月を感じる瞬間だ。嗚呼、遠くなりにけり我が学生時代。
さて、今回のオリンピックでも世界中の天才アスリートたちが集い、さまざまなドラマが展開された。毎回オリンピックではスーパースターやシンデレラが生まれる。中でも、東京大会から数えて3回目のモントリオール大会(カナダ、1976年)で彗星のごとく現れたルーマニアの体操選手には、世界中がひっくり返って驚いたものだ。
その名も“白い妖精”ナディア・コマネチの登場だ。他国チームに比べ明らかに幼い選手たちが、白いレオタードに身を包み、髪をポニーテールにまとめて入場してくる姿は異様でさえあった。しかし演技は白眉で、あれよという間にコマネチは器械体操史上初の10点満点を連発(合計7回)し、金メダル3個、銀銅メダルをそれぞれ1個獲得した。
頂点を極めたその後
老婆心ながら頂点を極めた人たちのその後の生活が気になって仕方がない。オリンピックという大舞台での成功の代償があまりに大きい場合があるからだ。一挙手一投足に過剰なまでに関心が注がれ、揚げ足を取られ、笑いの種にされ、その後の人生において理不尽な圧迫を強いられることがしばしばある。メダリストが若年であるほどその運命に翻弄される度合いが強い。コマネチはその極みだったように思う。
しかし、彼女は冷静な判断力と強い意思をもってこの運命に立ち向かっていたことが本書を読むとわかる。たとえば、あまりにも正確に、そしてそれが当然のようにほとんど無表情で淡々と進められる演技には「オートマティックに」「やってのける小さなロボット」と批判する声は少なくなかった。自我のない少女がコーチの言いなりになっているように映ったのだ。彼女はこう反論する。「もしそうしたくなければ、帰ればよかったのです。子ども本人がいやがるのに、体操のような難しいことを無理じいしたり、上達させたりすることはできません」「私はすでに自分の進む道を選んでいました。望みどおりのことをしていたのです」。
ところが17歳にもなると状況が変わってくる。若手選手と一緒の遠征ではコーチ(=国)の管理下に置かれることに疑問を持ち、彼女の中では何の矛盾もなく次のように述べられる。「もう子どもではないから」「他人の意思のままに動くあやつり人形ではいられない。私自身でコントロールしたい」。
亡命を経て
当時のルーマニア政府から国威発揚の道具として使われ、一時は“ルーマニアの至宝”とまで呼ばれるも、競技引退後は悲惨な生活を強いられている。栄光をなきものとされ、未来のない生活から抜け出すため、彼女はついに亡命を決断する。1989年のことだ。
失踪が周囲に気づかれぬよう普段と変わらない様子をアピールするため、直前に「あえて弟夫婦と近くの村のレストランで食事」をする。しかし「二、三時間後には死んでいるかもしれない、と知りながら、いとしい家族との食事を楽しむふりをするのは、耐えられないほどつらく難しかった」。国境越え決行後も幾度か失敗の危機に直面し、「体操では、ある意味で自分の運命を支配することができた。いい演技をすれば、国中の尊敬というご褒美が与えられる。しかし人生はそうはいかない。ルーマニアでは人間性を奪われ、いまここで亡命の危険と不確実性を体験して、私は生きる環境に対して無力であることを痛感した」。
しかし、まさに命をかけて成功させた決断は最終的に正解だった。彼女は現在、アメリカで体操教室のコーチや多くの慈善事業に携わって暮らしている。彼女が慈善事業に携わる理由は「受けたものをお返ししたいと思うからだ。他人のための行為は、自分個人でやりとげた演技に拍手をもらうより、はるかに達成感がある」からだ。あれほどの思いをしたにもかかわらず、負の思い出より、人々から受けた正の思いを胸に、祖国ルーマニアに対する愛、体操競技(スポーツ)に対する愛はむしろ高まっているようだ。
彼女のさらなる幸せ、ひいては今回のオリンピックで活躍した選手(思うような結果が残せなかった選手も)全員の、引退後の幸せを願ってやまない。
(板井 美浩)
カテゴリ:人生
タグ:体操
出版元:青土社
掲載日:2008-10-10