ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
それでも、前へ 四肢マヒの医師・流王雄太
高橋 豊
医療の谷間に灯をともす
私の勤める自治医科大学は、医療に恵まれない地域における医療の担い手を育てるため、昭和47年に開設された大学である。現在のような医師の都市部偏在によるものと異なり、当時は医師の絶対数不足から、とくに山間へき地や離島、過疎地と呼ばれる地域の医師不足が深刻な時代であり、“医療の谷間に灯をともす”(校歌より)気概ある総合臨床医を育てることを目的に設立されたのである。毎年、日本全国47都道府県から来る入学者(2~3名ずつ)に修学経費を貸与し、卒業後の所定期間(おおむね9年間)知事の指定する公立病院などに勤務した場合は、返還が免除されることになっている。つまり、卒業後それぞれの出身都道府県に戻って地域医療に従事するという“義務”を背負う代わりに学費は各都道府県に払ってもらうという現在の“地域枠”制度に先駆けたシステムだ。それぞれの地域に赴任中は“総合医”の名のごとく、内科系外科系、急性期慢性期、重度軽度の別なく診療にあたる。場合によっては“地域”そのものの活性化のために働くこともあるようである。
義務年限を終了したその後の身の振り方は原則自由だが、地域の診療所に残ったり新たに開業するなど、多くの卒業生は引き続き地域医療の実践に取り組んでいる。もちろん、大学に戻って教鞭をとっている卒業生や、特定科の専門医になっている者も多い。特筆すべきは専門医を名乗るにあたって、地域でのあらゆる診療に対処したことによる幅広い知識と経験があり、その大きな地盤の上に専門科を掲げることができる点である。
地域での診療義務をこなしながら専門医の資格を取らなければならず、ほかの医学部卒業生より時間がかかるし大変だとの不安を在学中に持つ学生も中にはいる。あるいは、中央の情報が届きにくいイナカに飛ばされて不利になるという負の感覚を持つ人も(これは外部の人に多いが)いる。しかし、ハンディキャップのように思えるこの期間が、実は実践を通してモノスゴい力が蓄えられる場になっていることを、頼もしいお医者さんになっている卒業生たちを見るたびに実感するのである。
開拓者として
さて、本書に描かれている流王雄太は、四肢マヒというハンディキャップを持つ医師(精神科)である。15歳、彼が高校1年生のとき、ラグビーの試合中に起こった事故で頸髄損傷を被り、首から下のほとんどが自由に動かせない状態となったのだ。その彼が高校に復学し、短絡でない道のりを歩みながら医師となって活動している現在までの記録を綴ったものだ。
あらゆる「前例のない」問題と対峙し、開拓していかなければならなかった人生には、本文から読み取れること以上に大変な苦労や葛藤があったに違いないと思う。しかし(だから、というべきか)表紙にみられるような柔和な笑顔を浮かべている現在がある。一時の勢いや感情にいちいち流されていては大きいことは成しえない。肚(はら)に秘めた強い意志がある人ほどこういう表情になるのかも知れない。
新たに見えるもの
流王が「肉体的ハンディのためにできないことはたくさん存在しますが」「ハンディを持って社会の中で生きていくという、この状況でしか理解できないことや、共感できないことが数多く存在する」というように、人には何か自由が利かない状況になってこそ見える世界というものがある。とはいえ「自分がハンディを持っているからという、力みがなく、自然な態度で応じられる」かどうか、このことが非常に難しいことであることは容易に想像がつく。その中で発せられる次のような流王の言葉には重みがある。
「成功し続けることだけが、自分の支えで、何かにつまずいたり、失敗したり、地位を失ったりすると、人間としての人格そのものまで否定してしまう人が、最近、多いように感じます」
“自由”とか“幸せ”ということについて考え直してみたくなる一冊。文章のトーンも全編通して抑えた表現になっていて、感動を強要することは決してない。そこのところがまたよい。ぐいぐい引き込まれること請け合いだ。
(板井 美浩)
カテゴリ:人生
タグ:リハビリテーション
出版元:毎日新聞社
掲載日:2009-04-10