ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか
内藤 朝雄
子ども世界だけでない「いじめ」
“イッキ飲み防止連絡協議会”というのを皆さんご存知だろうか。毎年、年度初めに貼られる一気飲み防止キャンペーンのポスターを大学生なら見たことのある人が多いと思うが、そのポスターを作成・配布しているのがこの団体だ。“イッキ飲ませ”で息子さんを亡くした親御さんが中心となって1992年に設立された団体である。
あろうことか、その7年前、1985年の流行語大賞に“イッキ!イッキ!”が選ばれている。以来24年の間に、119名もの人が一気飲みなどの大量飲酒による急性アルコール中毒などで命を落としているのだ。1991年の13名(!)をピークに漸減してはいるものの、昨年度(2008年3月~2009年3月)1年間で、5名もの大学生が亡くなっており、悲しい事件の犠牲者は後を絶たない(アルコール薬物問題全国市民協会のHPによる)。
複数の人間で囃したて、ある特定の一人を吊るし上げて酒を飲ませるといった馬鹿げた行為は、“アルハラ(アルコール・ハラスメント)”という名を借りた、大人の「いじめ」にほかならない。“アルハラ”に限らない「いじめ」は、子ども世界の専売特許ではなく、大人の世界でも容易にそして頻繁に生じる恐れは常にあるのだ。中でも、部活動や寮生活で閉ざされた人間関係を構築しやすい体育・スポーツの現場では細心の注意を払う必要があるだろう。
逃げることができない世界で
本書は、主に「学校のいじめについて、分析を行い、『なぜいじめが起こるのか』について、いじめの構造とシステムを見出そうとする試みの書」である。
「学校」とは「逃げることができない出口なしの世界」だ。「学校では、これまで何の縁もなかった同年齢の人々をひとまとめにして(学年制度)、朝から夕方までひとつのクラスに集め(学級制度)、強制的に出頭させ、全生活を囲い込んで軟禁する」。そして「狭い生活空間に人々を強制収容したうえで、さまざまな『かかわりあい』を強制する。たとえば、集団学習、集団摂食、班活動、掃除などの不払い労働、雑用割り当て、学校行事、部活動、各種連帯責任などの過酷な強制を通じて、ありとあらゆる生活活動が小集団自治訓練になるように、しむける」のである。皮肉っぽい表現のようだが、確かに「学校」にはこのような側面がある。
そんな「学校という狭い空間に閉じ込められて生きる生徒たちの、独特の心理-社会的な秩序(群生秩序)を、いじめの事例から浮き彫りに」し、「閉鎖的な小社会の秩序のメカニズムを明らかに」していく。それらを踏まえ「生徒たちを閉鎖空間に閉じこめて強制的にベタベタさせる学校制度の効果」による「『生きがたい』心理-社会的な秩序(筆者注:すなわち“いじめ”か?)をなくしていくための」「『新たな教育制度』」を論じている。
他者コントロールという幻想
「いじめは、学校の生徒たちだけの問題」ではなく、「昔から今まで、ありとあらゆる社会で、人類は、このはらわたがねじれるような現象に苦しんできた」問題である。いじめる側の動機は、「他者をコントロールすることで得られる」「曖昧な『無限の』感覚」すなわち「全能感」で説明がつくことがある。
とりわけ、体育教師やコーチ、アスレチックトレーナーといった職業は、学生や選手に対する“教育的”な側面が強調されやすい立場であり、「世話をする。教育をする。しつける。ケアをする。修復する。和解させる。蘇生させる」といった場面に身をおくことが少なくない。ややもすると、「他者コントロール」をしている幻想にとらわれ、勘違いをして「全能感」を求めるようにならないとも限らない。
とくに、やる気や情熱にあふれた“指導者”ほど、この「全能感」を求めている自分に気づかない状況に陥りやすいのではないだろうか。だからこそ、「ケア・教育系の『する』『させる』情熱でもって、思いどおりにならないはずの他者を思いどおりに『する』ことが好きでたまらない人」にならないよう心がけていたいものだ。
“紙一重”の世界に私たちは住んでいるのである。
(板井 美浩)
カテゴリ:その他
タグ:いじめ
出版元:講談社
掲載日:2009-10-10