ATACK NET ブックレビュー
トレーニングやリハビリテーションなど、スポーツ医科学と関連した書評を掲載しています。
そろそろ部活のこれからを話しませんか 未来のための部活講義
中澤 篤史
「部活」は、日本固有の文化なんだ。知らなかった。
部活には「自主性」の名の下に、教員、学生、保護者が動員されている。自主的な活動なのだから、お金も保障も充分でない。
中学運動部顧問の時間外労働平均時間は過労死ライン80時間を超えている(平成18年度の文科省報告書による)。
平均が過労死ラインを超えてるって、異常事態だ(令和2年4月から時間外勤務が月45時間以内に改善が図られていなければ、校長が職務責任を問われるという「働き方改革」が行われているが)。
さらに体罰の問題がある。桜宮高校バスケットボール部の事件は、大いに世間を賑わせた。キャプテンの子が顧問の先生に宛てた手紙には、批判や不満とともに、自分が顧問の先生の要求に、必死に応えようとしている想いが吐露されている。しかし、彼はこの手紙を先生に渡すことなく、部活に行き続け、最後は死を選んだ。このような事件も「部活」の暗黒面としてある。
だが、多くの人にとって「部活」は、キラキラした青春の代名詞ではないだろうか。少なくとも自分自身にとってはそうだし、たびたび漫画やドラマの舞台になるのを考えれば、一般的なイメージはそんな感じだろう。
だが(だからこそ?)、その裏側には献身を、あるいは参加を、強制されるような実態があり、スポーツの語源(デポルターレ=遊び)からは程遠い現実がある。
「部活」が、さまざまな犠牲を払わなければ成り立たない慣習上の制度であるとするならば、今後も制度疲労としての軋みが、生じ続けることになるだろう。
(塩﨑 由規)
カテゴリ:スポーツ社会学
タグ:部活動
出版元:大月書店
掲載日:2022-05-02